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    やしきたかじんから見たテレビ朝日

    たかじんの東京嫌いを決定づけた事件が、1992年12月、たかじんが司会をしていたテレビ朝日の深夜番組『M10』の料理コーナーで起きた。たかじんが「こんにゃくサイコロ ステーキ」を調理中、隠し味に必要な味の素が見つからず、番組スタッフや助手を務めていた服部栄養専門学校の生徒に「味の素はどこや?!」と連呼したが、誰も答えなかったため、アシスタントディレクター(後に小宮悦子と結婚した人物)を殴り、スタジオのセットを破壊する出来事があった。その状況に慌てた共演のトミーズ雅が「味の素を入れたことにしましょう」と軌道修正を図るフォローをしたが、「出来ん、それ。味の素が無いのに出来ない!」と調理を放棄。たかじんは生放送中にも関わらず、スタジオを後にして帰った。スタジオに残されたゲストの中山秀征と大竹まことは、たかじん作成の進行表だけを頼りに残りの放送時間内で「味の素を入れない、こんにゃくステーキ」を完成。トミーズ雅、大竹、中山の3人で試食をして、波乱の生放送を締めくくった。やしきたかじん フレッシュアイペディアより)

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    やしきたかじんから見たダイエー

    南海ホークスの熱狂的なファンでもあった。南海時代はホークス関係で取材を受けたり、南海がダイエーに身売りされる話が出た際も戎橋で身売り反対の署名活動に参加したり、南海ホークスにまつわるレコード「南海ファンやもん」(歌:アンタチャブル)をプロデュースしたり、といったエピソードがあった。その後ダイエーに身売りされてからはファンをやめているという。やしきたかじん フレッシュアイペディアより)

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    やしきたかじんから見た味の素

    たかじんの東京嫌いを決定づけた事件が、1992年12月、たかじんが司会をしていたテレビ朝日の深夜番組『M10』の料理コーナーで起きた。たかじんが「こんにゃくサイコロ ステーキ」を調理中、隠し味に必要な味の素が見つからず、番組スタッフや助手を務めていた服部栄養専門学校の生徒に「味の素はどこや?!」と連呼したが、誰も答えなかったため、アシスタントディレクター(後に小宮悦子と結婚した人物)を殴り、スタジオのセットを破壊する出来事があった。その状況に慌てた共演のトミーズ雅が「味の素を入れたことにしましょう」と軌道修正を図るフォローをしたが、「出来ん、それ。味の素が無いのに出来ない!」と調理を放棄。たかじんは生放送中にも関わらず、スタジオを後にして帰った。スタジオに残されたゲストの中山秀征と大竹まことは、たかじん作成の進行表だけを頼りに残りの放送時間内で「味の素を入れない、こんにゃくステーキ」を完成。トミーズ雅、大竹、中山の3人で試食をして、波乱の生放送を締めくくった。やしきたかじん フレッシュアイペディアより)

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    やしきたかじんから見た林伸一郎

    ABCの若手アナウンサー時代に『サタデーたかじん』『聴けば効くほどやしきたかじん』で共演していた宮根誠司には、かねてから親交のあった西村嘉郎(元・社長、現在は常勤特別顧問)への直談判を通じてフリーアナウンサーへの転身(2004年4月)につなげた。さらに、龍谷大学放送部の同期生であった林伸一郎(元・アナウンサー→ 監査役会事務局事務長)とは、林がアナウンス職を退いた後の2003年4月頃に『たかじんONE MAN』(MBSテレビ)の「対面ショー」という企画で久々に共演。『必殺』シリーズをはじめ、ABCテレビ制作のドラマのプロデュースで知られる山内久司(元・専務、現在は顧問)も、役員からの退任後に『やしきたかじんプロデュース』(テレビ大阪)や『たかじんのそこまで言って委員会』(読売テレビ) にゲストで出演していた。やしきたかじん フレッシュアイペディアより)

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    やしきたかじんから見た円広志

    たかじんのコンサートは演出や構成が一切なく、セットや照明も控えめで、あくまで歌とトークを重視したシンプルなスタイルである。3時間前後の内、大半(約6割)がトークに費やされる。歌はかつては15曲前後、晩年期では12、3曲歌う。歌の間に3回から4回ほど2、30分程度(大ネタになれば4、50分)のトークがある。トークでオチをつけないと次の曲の演奏が始まらないことも特徴である(予想外のオチにバックバンドが慌てて演奏に入ることも少なくない)。聴衆からも「曲はレコード、CDで聞くからそれよりも話をして」と言われるという。それ故、ほとんど歌えなかったこともあり、かつてコンサートやライブで歌ったのがたった2、3曲だけだったこともある(例えば、ゲストでたかじん同様にコンサートの大半をトークに費やす円広志を迎えた時などには漫才に熱が入り過ぎる(2時間近くやっていた)ため、たかじんが「緊急事態宣言」を行い、急遽バックバンドに目配せで当初予定していた曲数を大幅カットさせたため、スタッフは大慌てだったという)。やしきたかじん フレッシュアイペディアより)

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    やしきたかじんから見たECHOES

    レギュラーラジオ番組であった『ハローナショナルショールーム』(MBSラジオ)にゲストとしてECHOESがプロモーションで出演した際、ボーカルの辻仁成の番組に出演しておきながら質問されても無視し、何を訊かれても「CDを買ってもらえれば分かりますよ」としか答えないなど、全くやる気のない受け答えや横柄な態度に番組が進行しなくなってしまい、最初は下手に出ていたたかじんと出演者であった泰葉がついに激怒。泰葉がたかじんに「やっちゃいな!」と言い放ち、たかじんは録音を止めさせて、「そんなんやったらわざわざここへ来んと、CDだけ売っとったらええやろ!」と譜面台を投げつけ一喝、会場は騒然となった。が、聴衆はむしろ拍手で応えたという。泰葉は番組収録後、たかじんに感謝の意を伝えた。後に語ったたかじんの言い分は、「喋るのが嫌やったらFMに出ろ! ここはAMじゃ!」というもの。ただし、「リーダーはどう思いますか?」というたかじんの質問に、辻が何も答えなかったことも怒りの原因の一つだが、ECHOESのリーダーはドラムの今川なのに、たかじんが辻をリーダーだと勘違いしていたという、たかじん側の落ち度もあった。この件に関して、「あの時(25歳)の自分は若かった。たかじんさんの檄を胸に刻み、今は初対面の人には礼儀正しく挨拶するようにしています」という辻の反省と感謝の弁が、2014年11月8日放送の「たかじんNOマネー〜人生は金時なり〜」で流れた。やしきたかじん フレッシュアイペディアより)

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    やしきたかじんから見たサングラス

    コンサートになると、極度の重圧から自律神経失調症や重度の胃腸炎やノイローゼになり、かつてコンサートでアンコールの緞帳が下りた時に意識を失い、生死をさまよったことがある。客席をまともに見ることが怖いため、ステージに立つ時は必ずサングラスをかけている。トーク時にステージの端から端までウロウロするのはサービスや演出ではなく、精神的に落ち着かないからである。やしきたかじん フレッシュアイペディアより)

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    やしきたかじんから見た北海道文化放送

    地方局に範囲を広げれば、ネット受けしたことがある放送局を含め、出演したことのない放送局は多数存在する(出演経験のある地方放送局は、RKB毎日放送、熊本県民テレビ、北海道文化放送など)。やしきたかじん フレッシュアイペディアより)

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    やしきたかじんから見たキングレコード

    1973年5月15日には、京都文化芸術会館で初のコンサートを開催。1974年に東京・二子玉川に移住して地下鉄工事のアルバイトなどをしながら生活するが1年ほどで再び京都に戻る。その後の1976年に、キング・ベルウッドからシングル『ゆめいらんかね』、アルバム『TAKAJIN』で再デビュー。同年、FM東京が選ぶ最優秀新人賞のベスト5に入る。やしきたかじん フレッシュアイペディアより)

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    やしきたかじんから見た桂春蝶 (2代目)

    一時期桂雀々や2代目桂春蝶や『MBSヤングタウン』で共演した桂三枝(現・6代桂文枝)のもとに付いたり、様々な名だたる上方芸人と交流を深め(特に雀々とは北新地の居酒屋「猫八」で出会って以来の付き合いで、かつては天満のマンションに一緒に住んでいた)、しゃべりや遊びの勉強をしていた事がある(祇園の弾き語り時代には、6代目笑福亭松鶴や藤山寛美にお茶屋遊びを教えられ、3代目桂米朝には大阪宗右衛門町の南地大和屋で遊びの基本を学んだ)。。また、サンドウィッチマンの富澤たけしは歌手としてのたかじんのファンである。やしきたかじん フレッシュアイペディアより)

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