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音威子府村から見たアイヌ
1857年(安政4年)に松浦武四郎が天塩川流域を訪れ、現在の音威子府村筬島(おさしま)付近でアイヌの長老の元に宿泊、それによりアイヌによる北海道(蝦夷地)の通称「カイナー」の意味を知る。「カイ」はこの国に生まれた者、「ナー」は尊称であった。アイヌと深い交流のあった松浦武四郎は、蝦夷地を命名する際に「アイヌの国」を意味する「カイ」を取り入れ「北加伊道」という名を提案、これがのちに「北海道」となった。しかし近代から現代のアイヌ語研究では「カイ」に「この国に生まれた者」という意味は見出せず、この記述は謎の一つとなっている。(北海道も参照。)(音威子府村 フレッシュアイペディアより)
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ハプログループD1b (Y染色体)から見たアイヌ
ハプログループD1b(D-M64.1)は、日本列島で観察される。日本人の約32%~39%にみられ、アイヌの80%以上もこれに属する。沖縄や奄美大島や日本全土で大多数を占める。ハプログループD1bは、日本で誕生してから3.8-3.7万年ほど経過していると考えられている。(ハプログループD1b (Y染色体) フレッシュアイペディアより)
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青森市歴史民俗展示館 稽古館から見たアイヌ
雪国の暮らし、生活用具、仕事用具、津軽のこぎんざし、南部菱刺、津軽塗、民間信仰、アイヌの文様・工芸などに特徴がある。民具、民芸に関する展示は全国的に見ても充実している部類に入っており、アイヌのタマサイなどのコレクションは北海道以外では最も優れた質量を誇っていた。稽古館にかかわりのある人物のひとりで、館長を務めた在野の民具研究家田中忠三郎は柳宗悦らの民藝運動の流れを汲んでいる。また、三内丸山遺跡出土品をはじめとする青森市の埋蔵文化財の展示室、そして青森空襲と戦後の復興についての展示室もあるなど、約1万6000点の資料が収蔵されていたが、2006年1月31日を以て閉館された。(青森市歴史民俗展示館 稽古館 フレッシュアイペディアより)