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太陽の王子 ホルスの大冒険から見たアイヌ
アイヌの伝承をモチーフにした深沢一夫の戯曲(人形劇)『チキサニの太陽』を基とし、舞台を「さむい北国のとおいむかし」として製作された。(太陽の王子 ホルスの大冒険 フレッシュアイペディアより)
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日本のダムの歴史から見たアイヌ民族
反対運動の高まりは、財政難に喘ぐ政府や地方自治体を次第に動かして行った。1998年(平成10年)第2次橋本内閣はダム事業評価制度を開始、この中で長期間事業進捗が滞っているダム事業を検証した。特に1972年(昭和47年)の計画発表以来地元である徳島県那賀郡木頭村が官民一体となって反対した細川内ダム(那賀川)は、建設大臣だった亀井静香の決断により同年に事業が休止され、2000年に正式に事業中止となった。同年北海道は時代の変化を踏まえた公共事業再評価である「時のアセスメント」を実施。この中で松倉ダム(松倉川)、白老ダム(白老川)、トマムダム(八戸沢川)の3ダム事業を中止した。こうした国や地方自治体の動きは2000年代に入るとさらに加速して行く。またダム事業の可否について法廷闘争に持ち込まれた二風谷ダム(沙流川)では1997年の札幌地方裁判所における裁判でダム事業差し止めについては却下されたものの土地収用裁決は違法とされ、判決の中でアイヌ民族の先住性が認められた(事情判決)。この判決を機に差別的法律であった北海道旧土人保護法が廃止されてアイヌ文化振興法が制定されるなどアイヌ民族の悲願が達成された。(日本のダムの歴史 フレッシュアイペディアより)
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佐々木守から見たアイヌ民族
日米安保条約成立後の1960年に日本共産党に入党、数ヶ月で離党した経験から、政治思想的には新左翼のスタンスであり、後年のインタビューなどでも「今でも機動隊のバスを見かけると怒りがこみ上げて体が熱くなってくるんですよ」「なぜ今の若者は国に怒りを持たないのだろう」等と述懐しているほか、「今の日本の諸悪の根元は天皇制にあります」などと反天皇制思想を明確に表明していた。実際佐々木の代表作『お荷物小荷物』、『アイアンキング』には佐々木の反天皇制思想が垣間見える(前者は琉球王国やアイヌ民族による逆襲、後者は熊襲の子孫による逆襲)。1960年代後半においてはアイヌ民族解放や琉球独立運動にも支持を寄せていた。また、日本赤軍を支援し、最高幹部重信房子の著書『わが愛わが革命』のゴーストライターをつとめている。脚本においては、ごく初期に『ウルトラマン』の劇場用オリジナル長編を天皇制の悪性を主張した内容で描くなど(製作中止)、自己の思想を絡めたものを執筆したものの、それ以降はこれらの思想をドラマ設定の背景に使用することはあっても、劇作家という作品における管理者的立場を利用して自分の思想を振りかざすことはなかった。この点について佐々木は、岩佐陽一のインタビューに答えて「テレビじゃ反体制の側を主人公にはできないよ。そんな企画書いても通らないし」と述べるとともに、そのような立場の人々に対する個人的な共感を込めた、と語っている。(佐々木守 フレッシュアイペディアより)