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水着キャンペーンガールから見たアグネス・ラム
初めての水着キャンペーンガールは、資生堂が1966年(昭和41年)、夏のキャンペーンのために起用した前田美波里であると考えられている。その後、1970年(昭和45年)のテイジン水着キャンペーンガールであった秋川リサは、当時の人気深夜番組 『11PM』のホステスも務めるなど、水着キャンペーンガールがタレント化する先駆けとなった。また、1975年(昭和50年)に「アクエア」の資生堂・「コダックインスタマチック」のコダックのTVCFでデビューしたアグネス・ラムは、広く社会的なブームを巻き起こしたことで知られる。(水着キャンペーンガール フレッシュアイペディアより)
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アイドルから見たアグネス・ラム
1970年代には『スター誕生!』や「ミスセブンティーンコンテスト」、「ホリプロタレントスカウトキャラバン」などの大規模なオーディションが相次いで開催されるようになり、森昌子、桜田淳子、山口百恵から成る「花の中三トリオ」やピンク・レディー(『スター誕生!』)、松田聖子や国生さゆり、工藤静香(「ミスセブンティーンコンテスト」)ら、後の人気アイドルを輩出した。但馬オサムによると、当時はまだアイドルという単語自体が定着しておらず(「新人歌手」「新人女優」「新人モデル」といった肩書が付けられていた)、この時代に量産される女性タレントを多少の揶揄の意味を込めて「可愛い子ちゃん歌手」と呼ぶ風潮があったとのことである。小学館の学年別学習雑誌の表紙は、それ以前に子供の写真か子供を描いた水彩画が用いられていたのに対し、1970年代後半からアイドルの写真、いわゆる表紙グラビアになりはじめ、1975年にはグラビアアイドルの先駆者と称されるアグネス・ラムがデビューを果たした(ただし当時の彼女の肩書は「CMモデル」)。(アイドル フレッシュアイペディアより)