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古賀忠道から見たアジアゾウ
1903年12月4日、佐賀県生まれ。東京帝国大学農学部獣医学科卒。東京市公園局・上野恩賜公園動物園(上野動物園の前身)勤務。1937年、それまでなかった園長制度設立とともに「初代園長」就任(1937年までは黒川義太郎が第2代監督)。動物園においては、子ども動物園の開園、おサル電車の設置、インドのネルー首相より贈られたアジアゾウのインディラを目玉とした移動動物園など、動物と人間の係わり合いを高める様々な試みを展開する。1962年の動物園創立80年記念行事を最後に園長を引退。同年3月、東京大学 農学博士。「鶴類の繁殖、とくに人工孵化育雛に関する研究」。元日本哺乳動物学会理事(1965年4月〜1967年3月)。(古賀忠道 フレッシュアイペディアより)
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キングスポート (テネシー州)から見たアジアゾウ
1916年9月12日、「スパークス・ワールド・フェイマス・ショーズ・サーカス」に出ていたアジアゾウのメアリが、シティホテルの従業員であるウォルター・エルブリッジを殺した。エルブリッジはその前日に象の調教師助手としてサーカスから雇われたばかりだった。エルブリッジは、キングスポートでメアリを近くの池に連れて行った時に殺された。メアリは地元保安官が囲いに入れた。近くの町の指導者達は、メアリを連れて来るならばサーカスの興行を認めないと脅した。キングスポート住民はメアリの死を要求した。サーカスのオーナーであるチャーリー・スパークスは渋々ながらも事態を素早く解決する唯一の道は公開の処刑を行うことだと判断した。翌日、メアリは鉄道でアーウィンまで運ばれた。そこではクリンチフィールドの操車場に2,500人を超える群衆が象の処刑を見るために集まっていた。メアリは鉄道のクレーンに吊るされて処刑された。(キングスポート (テネシー州) フレッシュアイペディアより)