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ティモシー・ヒッチンズから見たアフリカ
2002年から2003年までは、危機対応チームのチーム長を務めた。その後、2003年から2005年にかけ、外務・英連邦省のアフリカ(赤道地域)部の部長として、アフリカの西部、中央部、東部の国々を担当した。2005年、在フランス英国大使館にて経済部の公使に就任し、2008年まで務めた。その後、本省に戻り、欧州政治担当局長に就任し、ヨーロッパの在外公館を束ねるとともに、欧州連合域外の政策も担った。2010年にはアフリカ担当局長に転じ、イギリスとアフリカの国々との関係を担当した。また、2012年より、外務・英連邦省の幹部委員会に名を連ねている。同年、日本駐箚英国特命全権大使に就任することが決定した。同年12月21日に皇居に参内し、信任状捧呈式を経て正式に着任した。(ティモシー・ヒッチンズ フレッシュアイペディアより)
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地域研究から見たアフリカ
地域研究 (area studies) の発祥は通常アメリカとされる。戦後、冷戦を背景として世界全域への関与を強めたアメリカだったが、モンロー主義の影響などもあって、中南米以外の第三世界についての知見は限定されたものだった。そのため、アメリカの世界戦略を推進するための知識・情報を蓄積する、いわば「地域の物知り」が必要とされるようになった。そのためアメリカは巨費を投じてアジアやアフリカの専門家を育成した。これらの地域は、西洋的な常識が通用しないため、従来の経済学・法学・歴史学といった枠組みでは分析しきれず、人類学や民族学の成果や手法を取り入れた学際的手法を取ることが多かった。その意味では、東洋学や植民地学のアメリカ版ともいえる。(地域研究 フレッシュアイペディアより)