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アフリカから見た一夫多妻制
また、後天性免疫不全症候群(エイズ)の蔓延も大きな問題となっており、国家予算の半分近くがエイズ対策に費やされる国家すら出現している。特にサブサハラではひどく、15歳以上の感染率はスワジランドでは26.1%、ボツワナでは23.9%にのぼる(2008年)。感染者数最大は医療体制が比較的充実している南アフリカの570万人である。世界中のエイズ感染者のうち2/3がサブサハラに集中している。この蔓延には女性の社会的地位が低いことも一因であり、レイプの多発や一夫多妻制などが影響していると考えられ、実際に感染率は女性の方が軒並み高い。これらの要因から中南部諸国における平均寿命は著しく低下し、10カ国以上で50歳を下回っている。(アフリカ フレッシュアイペディアより)
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アフリカから見た進化
南アフリカのヨハネスブルグ北部などが人類が初めて住んだ場所と考えられる。20世紀中頃には、人類学者たちは既に700万年以上古い人類の化石や生存の証拠類を発見していた。化石は、いく種もの類人猿に近い人類のものが発見され、放射年代測定から紀元前390-300万年頃に生きたと考えられるアウストラロピテクス・アファレンシスや紀元前230-140万年頃のパラントロプス・ボイセイ(en)、紀元前190-60万年頃のホモ・エルガステルが人類へ進化したと推察される。先史時代、他の大陸と同様にアフリカに住む人類は、国家を持たず、現代のコイコイ人やサン人のように狩猟採集社会の集団をつくって生活していた。(アフリカ フレッシュアイペディアより)
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アフリカから見たサラディン
一方、西スーダンのこのような王国のサハラ越えの隊商による交易に利害のあった北アフリカ西部、マグリブにもベルベル人によって11世紀中葉-12世紀中葉にムラービト朝、12世紀中葉-13世紀頃にムワッヒド朝、13-15世紀にマリーン朝という強力なイスラム王朝が建てられた。特にムラービト朝は、ガーナ王国を滅ぼしたことで知られる。ソンガイ帝国は、1590年に、16世紀中葉にモロッコで興った強力なサアド朝(サーディ朝)に攻め滅ぼされた。イフリーキヤと呼ばれたチュニジアも、909年にアグラブ朝を倒して、ファーティマ朝が興ると、926年には西隣のイドリース朝を滅ぼした。969年に、エジプトに東遷して、イフシード朝を滅ぼすと、北アフリカの統一を完成し、新首都カイロに遷都(973年)して、カリフを称した。西カリフ国と呼ばれたイベリア半島の後ウマイヤ朝に比して、中カリフ国と呼ばれた。エジプトではその後対十字軍戦争で活躍したサラディンによるアイユーブ朝、アイユーブ朝のもとで実力をつけたバフリーヤなどのマムルークの力によって建国されたマムルーク朝が続く。一方、イフリーキヤでは、13世紀前半にムワッヒド朝から独立したハフス朝があり、これらの強力な王朝のもとで優れたイスラム建築が多数建設され、町並みが世界遺産に登録されているものも数多い。しかし、1517年にマムルーク朝、1574年にハフス朝がオスマン帝国によって併合される。(アフリカ フレッシュアイペディアより)
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アフリカから見た白金
1995年から10年間にアフリカは経済成長を続け、2005年の平均成長率は5%に達した。さらに、埋蔵石油を持ち輸出に振り分けるため掘削に着手したアンゴラ・スーダン・赤道ギニアなど数カ国はさらなる成長が見込まれる。さらにアフリカには世界中のコバルト90%、白金90%と金の50%、クロム98%、タンタライト(en)70%、マンガン64%、ウラン33%が存在すると考えられている。コンゴ民主共和国には、携帯電話の製造に欠かせないコルタンが世界の70%に相当する量に上り、ダイヤモンドも世界の30%以上が同国に存在する。ギニアは世界最大のボーキサイト供給国である。このようにアフリカの経済成長はほとんどが資源提供を背景としたもので、工業や農業の発展ではなく、雇用創出や貧困からの脱却に寄与していない。実際に、2008年にリーマンショックを原因として起こった食糧危機では、1億人が飢餓状態に陥った。(アフリカ フレッシュアイペディアより)