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  • 岩瀬仁紀

    岩瀬仁紀から見たアレックス・カブレラアレックス・カブレラ

    6月14日、対オリックス・バファローズ戦でアレックス・カブレラに557試合目にしてプロ入り初のサヨナラ本塁打を打たれている。8月、北京オリンピック野球日本代表として出場したが、韓国代表の李承燁に逆転本塁打を打たれるなど大会を通じて10失点、3試合で敗戦投手となった。帰国後は日本プロ野球史上初の10年連続の50試合登板を達成。また、ポストシーズンの無失点記録を22回1/3まで伸ばしている。12月、推定年俸4億3000万円(現状維持)で4年契約の契約更改を行った。岩瀬仁紀 フレッシュアイペディアより)

  • 堂上隼人

    堂上隼人から見たアレックス・カブレラアレックス・カブレラ

    3月22日の北海道日本ハムファイターズ戦で1軍公式戦に初出場した。同シーズンは、スタメン出場2試合を含む7試合に出場し、初安打も記録した。1月にアレックス・カブレラの入団により、背番号が42から35に変更された。堂上隼人 フレッシュアイペディアより)

  • デニス・サファテ

    デニス・サファテから見たアレックス・カブレラアレックス・カブレラ

    日本シリーズでは第2・3戦でセーブを挙げ、第6戦では9回から3イニングを投げ、11回裏のサヨナラを呼び込み日本一に貢献。リリーフ登板のみとしては1982年の東尾修以来35年ぶり、外国籍投手としては1964年のジョー・スタンカ以来53年ぶりとなる日本シリーズMVPを受賞した。また、外国出身の選手として初となる正力松太郎賞に選出された。さらに、レギュラーシーズンの最優秀選手賞も獲得、外国籍選手としてはウラディミール・バレンティン以来4年ぶり17人目(18度目)、パシフィック・リーグの外国籍選手としては、アレックス・カブレラ以来15年ぶり8人目、外国籍投手としては郭泰源以来26年ぶり4人目、救援投手としては浅尾拓也以来6年ぶり5人目(6度目)、ホークスの外国籍選手としてはスタンカ以来53年ぶり2人目の受賞となった。またシーズンと日本シリーズのMVPダブル受賞は、松井秀喜以来17年ぶり15人目、ホークスでは杉浦忠、スタンカに次ぐ3人目の栄誉となった。最優秀選手の発表はNPB AWARDSで行われたことから、式の出席のためだけに来日した。名球会入りの基準である通算250セーブまで残り21セーブとしている。デニス・サファテ フレッシュアイペディアより)

  • 福岡ソフトバンクホークス

    福岡ソフトバンクホークスから見たアレックス・カブレラアレックス・カブレラ

    攝津、ブライアン・ファルケンボーグ、馬原孝浩、甲藤啓介の「SBM48」や森福允彦などの救援投手陣が活躍して12球団トップの救援防御率(唯一の2点台〈2.84〉)だった。杉内俊哉と和田毅以外は不振だった先発投手陣を中継ぎ陣が支えた。チーム奪三振数が2005年に阪神が記録したプロ野球記録である1208を、1244で更新した。9月25日にマジック対象チームの西武が日本ハムに敗れたため優勝が決定した。しかし、クライマックスシリーズでは打率1割6分9厘0本塁打と打撃陣が振るわず、ファイナルステージで3勝4敗で3位のロッテに敗れた。クライマックスシリーズは2006年までのプレーオフと異なり結果にかかわらず公式戦の最高勝率チームが優勝となるため、7年ぶり、ソフトバンクとなって初のリーグ優勝となったが、2004年・2005年に続き、日本シリーズ進出は逃した。リーグ優勝チームが日本シリーズ進出を逃すのはパ・リーグでは初、両リーグ全体では2007年の巨人に次ぐ2例目。MVPは和田毅が受賞。オフにFAで横浜から内川聖一、西武から細川亨が移籍したほか、オリックスから自由契約となったアレックス・カブレラを獲得した。またこの年のオフ、巨人で現役を続けていた大道典嘉が現役を引退したことで、南海ホークスに所属経験のある選手が全員引退した。福岡ソフトバンクホークス フレッシュアイペディアより)

  • 松井稼頭央

    松井稼頭央から見たアレックス・カブレラアレックス・カブレラ

    前年に続き主に3番で起用される。故障の影響で指名打者での出場も多かったが、140試合にフル出場した。3月28日のオリックス戦で小倉恒を相手に18球粘り、に松井信勝が記録した19球にあと1球と迫った。7月8日には通算1000本安打を達成。818試合目での達成はイチロー、ブーマー・ウェルズ、与那嶺要に次ぐ歴代4位だった。オールスターゲームでは全3戦にフル出場し、第1戦、第2戦と2試合連続本塁打を記録した。第1戦では本塁打を含む3安打を放ち、1997年のオールスター第1戦以来2度目のMVPを獲得。その1997年の第1戦以来となるパ・リーグの勝利に貢献した。この年はパ・リーグ総本塁打数が大幅増加するなどパ・リーグ全体が投低打高化した中、松井自身は打率は.308でリーグ9位と前年より低下し、本塁打も前年より1本増となる24本でリーグ14位に留まった。この年入団した アレックス・カブレラ、 スコット・マクレーンが松井を上回る本塁打数を記録したため、3年連続でのチーム最多の本塁打とはならなかった。翌年以降もカブレラに譲ることになる。その他、2ストライク時の打率はパ・リーグ規定打席到達者2位の.275(244打数67安打)を記録した。一方で満塁時の打率は.071(14打数1安打)で、パ・リーグ規定打席到達者中もっとも低かった。走塁面では2リーグ制以降、20盗塁以上では史上初となるシーズン盗塁成功率100%を記録(26盗塁)。この時点で通算260盗塁、盗塁死49で盗塁成功率.841と高い盗塁成功率を記録。オリックス戦では最近3年間盗塁死がなく、1998年10月9日に盗塁失敗後21連続で盗塁成功。守備面では失策が前年に比べ減少し、守備率を.980台に乗せた。また、この年でベストナイン受賞は5年連続となり、パ・リーグ遊撃手としては大橋穣の連続受賞記録(-)に並んだ。松井稼頭央 フレッシュアイペディアより)

  • 松田宣浩

    松田宣浩から見たアレックス・カブレラアレックス・カブレラ

    ''4月17日の埼玉西武ライオンズ戦で自身初のサヨナラ本塁打を含む2本塁打を、20日と21日には2試合連続の本塁打(21日はホセ・オーティズとの2者連続本塁打)を放った。4月はリーグ2位の4本塁打、同2位のOPS1.014を残した。その後も打撃は好調で、松中信彦、小久保、アレックス・カブレラが相次いで離脱した9月25日以降は最終戦まで4番を任された。結果的に自身初めて全試合にフルイニング出場し(他にチーム内では川崎宗則・本多雄一も記録。1チーム3人の全試合フルイニング出場は2リーグ制以後、初の記録)、いずれも自己最高の打率.282、25本塁打、83打点、27盗塁、OPS.854を記録し、リーグ連覇に大きく貢献した。松田宣浩 フレッシュアイペディアより)

  • ロベルト・バルボン

    ロベルト・バルボンから見たアレックス・カブレラアレックス・カブレラ

    性格が明るく、「チコ」と呼ばれて親しまれた(名付け主は阪急時代のチームメイト河野旭輝)。当初は3年で帰国しようと考えていたものの祖国でキューバ革命が起こり冷戦終結までの間帰国が困難になったこともあって、引退後も日本で生活を続け、日本語(関西弁)もマスターした。本人によれば、結局1955年の来日後キューバには1回しか帰っていないという。この時唯一帰国できたのは1988年に広島東洋カープがキューバ野球を視察する際において監督である山本浩二がバルボンに声をかけ、特別通訳として同行させる計らいによって実現した。ボビー・マルカーノが阪急に入団した、スペイン語通訳の仕事で阪急に復帰。以後も阪急・オリックスを通じて球団職員として勤務。現在はオリックス・バファローズが運営する少年野球教室「オリックス・ベースボール・アカデミー」顧問。2005年にはNPB12球団ジュニアトーナメントにオリックスJr.監督として出場した。野球エージェントとなっているブーマー・ウェルズの通訳なども務めた事がある。アレックス・カブレラのオリックス移籍後のからは、カブレラの通訳兼教育係として元気な姿を見せている。ロベルト・バルボン フレッシュアイペディアより)

  • G.G.佐藤

    G.G.佐藤から見たアレックス・カブレラアレックス・カブレラ

    はオープン戦で前年と同じように打ちまくり、5本塁打を放つなど好調ぶりをアピールして、開幕1軍入りを果たした。起用に応えて開幕戦・開幕2戦目と2試合連続本塁打を放ったほか、4月28日の対ロッテ戦でヒーローインタビューを受けた際、2007年における自身のキャッチフレーズを、「ファンを愛し、ファンに愛される選手になりたい」思いから「愛の波動砲 G.G.佐藤」と宣言した。7月にはアレックス・カブレラが離脱したため空位になった4番候補に江藤智・和田一浩とともに名前が挙げられ、調子を上げていたG.G.佐藤が抜擢されて7月11日から4番を任され、カブレラ、和田が不振の時にはクリーンナップを任された。ヒーローインタビューと同時に発売すると予告していた自身の肉体がプリントされた「キモティーシャツ」が7月7日の対ソフトバンク戦でのヒーローインタビュー開始と同時に限定300枚で販売された。G.G.佐藤 フレッシュアイペディアより)

  • 嶋村一輝

    嶋村一輝から見たアレックス・カブレラアレックス・カブレラ

    5月13日に一軍昇格し、その際に清原和博から「自分の実力以上のものを出そうとせずにいつもと同じプレースタイルでやれ」とアドバイスされた。5月20日の対阪神戦で、アレックス・カブレラの体調不良に伴い6番・三塁手でスタメン起用されると、7回裏にジェフ・ウィリアムスからプロ初打点となる逆転決勝2点適時打を放ち、試合後にプロ入り初のヒーローインタビューを受けた。グレッグ・ラロッカ、大引啓次、後藤光尊らが故障離脱した影響もあり一軍に定着。一時は打率4割近くを打つなど打撃好調で、7月6日の対日本ハム戦では武田勝から人生初の2打席連続本塁打を記録。8月3日の対ソフトバンク戦ではパ・リーグ記録となる二塁手1試合9刺殺を記録。夏場に打率を落として8月中旬に二軍降格したものの、クライマックスシリーズには出場して、清原からバッティンググローブを貰い2安打を放った。しかし、第2戦では先発出場するも2回の守備で目測を誤り、フライを取れず、相手に先制点を与えてしまった。先発の小松聖の足を引っ張り、チームは敗退した。シーズン成績は48試合に出場して打率.295、5本塁打と自己最高成績を記録し、名前の通り一気にブレイクした。二塁手、三塁手、遊撃手、外野手と4ポジションを守った。嶋村一輝 フレッシュアイペディアより)

  • 藤川球児

    藤川球児から見たアレックス・カブレラアレックス・カブレラ

    はWBC日本代表に選ばれた。背番号は、同じ「22」を着ける球界の先輩里崎智也に配慮して24を選んだ。対アメリカ戦ではアレックス・ロドリゲスのバットを直球で折った。シーズンに入ると前年同様に中継ぎでスタートしたが、6月に抑えの久保田智之が怪我で離脱したことに伴い、抑えに定着。7月4日の対横浜ベイスターズ戦で35試合連続無失点となり、豊田清が持っていた日本記録を更新。7月11日には小山正明が持つ47イニング連続無失点の球団記録を更新したが、翌7月12日の対広島東洋カープ戦で失点し、連続無失点試合数は38, 連続イニング無失点記録は47回2/3で途切れた。7月21日のオールスターゲーム第1戦では登板前に「野球漫画のような世界を創りたい」と話し、先頭打者のアレックス・カブレラへの投球前に、全球ストレートを予告し、一回もバットに当てさせず空振り三振に取り、続く小笠原道大に対しても全て直球を投じて空振り三振に打ち取った。7月23日の第2戦では、同年からオリックス・バファローズに移籍した清原と再び対決。全て直球で空振り三振に取り、清原は「参った、火の玉や」とコメントした。なお同年は中日ドラゴンズと優勝を争う状況だった阪神だが、7月30日の対ヤクルト戦で藤川に初めて延長3イニングを投じさせるほど決定打を欠いて引き分ける戦いぶりに象徴される様に、オールスター終了後の7月下旬以降なかなか勝てず、堅実に勝ち星を積み重ねる中日に8月下旬には9ゲーム差まで差を広げられた。そんな中、首の寝違えで8月12日より登録抹消されていた藤川は8月27日の対巨人戦で8回から復帰後初登板して勝利投手となりお立ち台に立つと、マスメディアからの批判やファンの野次に対して「選手も必死でやっているということを分かって下さい」と涙を流しながらコメントした。結局チームは優勝を逃したが、藤川自身は2年連続の最優秀中継ぎ投手を獲得した。藤川球児 フレッシュアイペディアより)

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