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  • アレックス・カブレラ

    アレックス・カブレラから見た最優秀選手 (野球)

    は6月に腰痛で出場登録を抹消。前年に比べ本塁打のペースが上がらなかったが、7月1日から来日初の4打席連続本塁打を放つなど7月は11本塁打を放ち、8月に15本塁打、9月に10本塁打を記録し史上初の3カ月連続2桁本塁打を記録した。9月10日のダイエー戦で史上最速のペースで球団新記録となる50号を達成し、3日後には51本目の本塁打を放ち打率.335、109打点で初めて三冠1位となった。135試合目(出場は123試合目)となる10月2日の近鉄戦(西武ドーム)で岡本晃からソロ本塁打を放ち、王貞治とタフィ・ローズが有していた当時の日本タイ記録となるシーズン55本塁打に並んだ。このシーズンは高めにストライクゾーンが広がるいわゆる新ストライクゾーン導入もあり(同年限りで廃止)、リーグ打率は00年代ではもっとも低い.255、リーグ総本塁打数も前年から150本以上減少するなど打低化が顕著であったにも関わらず、打率.336(リーグ2位)、55本塁打(リーグ1位)、115打点(リーグ2位)、四球数100(リーグ1位)、出塁率.467(リーグ1位)、長打率.756(リーグ1位)、OPS1.223(リーグ1位)を記録するなど好成績を収めて西武のリーグ優勝に大きく貢献し、パ・リーグMVPにも輝いた。読売ジャイアンツとの日本シリーズでは全試合4番でスタメン出場。このシリーズで西武は巨人に4連敗のストレート負けを喫したものの、カブレラは第1戦で上原浩治、第2戦で岡島秀樹から二試合連続本塁打を放ち、このシリーズで大きく低迷した西武打線の中で一人気を吐き、敢闘選手賞を受賞した。日米野球第6戦の試合前には米紙記者に対して「エージェントが今、4チームと話をしている」と発言。カンザスシティ・ロイヤルズ、アトランタ・ブレーブス、オークランド・アスレチックス、ボルチモア・オリオールズの名前を挙げ「できれば来年メジャーに行きたい。けれども日本にいる可能性もあるから…」と発言していたが、最終的に西武に残留。アレックス・カブレラ フレッシュアイペディアより)

  • アレックス・カブレラ

    アレックス・カブレラから見た一塁手

    、4月29日の対ロッテ戦(グッドウィルドーム)で成瀬善久から来日250号本塁打を放つ。733試合での250本塁打は元近鉄のラルフ・ブライアントに並ぶ最速タイ記録となった。7月に故障で欠場するが、7月31日の本拠地・グッドウィルドームでの対日本ハム戦で復帰した。しかし、復帰後は調子が上がらず、一時はリーグトップに立っていた打率も徐々に下がり、打撃三部門において前年から大きく数字を下げてしまった。来日後規定打席に到達しながら30本塁打に達しなかった初のシーズンとなり、不動の4番の座もG.G.佐藤に譲ることもたびたびあった。それでも打率.295(リーグ8位)、27本塁打(リーグ3位)、81打点(リーグ5位)で、打点と本塁打はチームトップだった。得点圏打率はチームトップの.331を記録。4年ぶり3度目のベストナイン(一塁手部門)を受賞した。10月30日、西武ライオンズがカブレラとの翌年の契約を結ばない方針であることが明らかになり、11月30日付で自由契約公示された。自由契約後はオリックス・バファローズが獲得に乗り出し交渉を行ったが、薬物疑惑(後述)により交渉は難航した。アレックス・カブレラ フレッシュアイペディアより)

  • アレックス・カブレラ

    アレックス・カブレラから見たボクシング

    は小笠原と同点(100打点)で、自身初となる打点王のタイトルを獲得した。三冠王を狙える位置にいたが、本塁打は小笠原に1本及ばず、打率は松中信彦に9厘及ばずにどちらも2位だった。8月7日の対日本ハム戦で木下達生から2ラン本塁打を放ち、木下が亀田興毅に似ていることから、8月2日のボクシング世界戦の亀田対ランダエタ戦での借りを返したという報道があった(カブレラとランダエタはベネズエラの同郷だったため)。なお、ボクシングの試合の翌日である3日には、報道陣に対して「アンビリーバブルな判定だ!」と声を荒らげていたが、「知り合いなのか?」と記者団に聞かれると「実は全然知らない」と苦笑していた。シーズン中、スポーツ紙でたびたび移籍を考える発言をし、巨人や中日といったセ・リーグの球団に売り込むような発言が目立ったが、2007年の9月に「契約がまとまれば生涯西武でもいい、またこのチームで現役を終えたい」など以前の確執は解消されたような報道がされた。アレックス・カブレラ フレッシュアイペディアより)

  • アレックス・カブレラ

    アレックス・カブレラから見た右翼手

    来日1年目には4試合右翼手を守ったこともあるが、以降は主に一塁を守る。守備範囲は狭く動きも俊敏とは言えないが、グラブ捌きは柔らかく、捕球の能力には定評がある。一方で投手との連係、送球、バント処理などの際に雑な動きが見られるなど集中力を欠くこともある。守備でリズムを作るタイプであり、捕球能力には自信があるため、指名打者での起用を拒否したこともある。アレックス・カブレラ フレッシュアイペディアより)

  • アレックス・カブレラ

    アレックス・カブレラから見た故意四球

    は3度目の打率3割、リーグ3位の92打点、36本塁打を記録。リーグ最多の15敬遠(2位はフリオ・ズレータらの6)と、勝負を避けられる場面も目立った。6月3日の対横浜戦(インボイスSEIBUドーム)の2回、三浦大輔から放った打球はレフトの屋根に当たって左中間のグランドに落ちた。これはインボイスSEIBUドームのグラウンドルールにより認定本塁打とされた。打球が直撃した屋根の鉄骨部分には記念プレートが取り付けられた。7月11日の対ロッテ戦(インボイス)の2回に小林宏之から来日200号本塁打を放つ。538試合での200本塁打はラルフ・ブライアント(元近鉄)の578試合を大きく更新する最速記録となった。アレックス・カブレラ フレッシュアイペディアより)

  • アレックス・カブレラ

    アレックス・カブレラから見たリノ・エーシズ

    は、ルーキー級アリゾナリーグ・ダイヤモンドバックス、AA級エルパソ・ディアブロス、AAA級ツーソン・サイドワインダーズ、MLBのダイヤモンドバックスの4階級でプレーする。特にAA級エルパソでは53試合で打率.382・35本塁打・OPS1.438の活躍を見せ(AAA級ツーソンでは21試合で.282・4本塁打・OPS.867)、6月にはメジャー昇格を果たした。メジャーでも、初打席初本塁打デビューするなど活躍していたが、徐々に失速し、打率.263・5本塁打・OPS.799でシーズンを終了する。アレックス・カブレラ フレッシュアイペディアより)

  • アレックス・カブレラ

    アレックス・カブレラから見たモナガス州

    アレキサンダー・アルベルト・カブレラ(Alexander Alberto "Alex" Cabrera, 1971年12月24日 - )は、ベネズエラ・モナガス州カリピト出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。2015年現在は、ベネズエラのウィンターリーグ、リーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルのティブロネス・デ・ラ・グアイラに所属している。アレックス・カブレラ フレッシュアイペディアより)

  • アレックス・カブレラ

    アレックス・カブレラから見た薬物

    2007年12月13日、ミッチェル報告書の中で薬物使用の疑いがある選手として名前が挙げられた。それによると、カブレラがダイヤモンドバックスに在籍した2000年9月、球団のクラブハウスに届いたカブレラ宛の荷物にアナボリックステロイドと数百錠の錠剤(後に市販の痩せ薬であることが判明)があるのをクラブハウス係員が発見。カブレラには荷物が紛失したことにしてコミッショナー事務局に報告した。その後、事務局から依頼された麻薬取締局が薬物を検査している間に、選手契約が西武ライオンズに譲渡されたとしている。アレックス・カブレラ フレッシュアイペディアより)

  • アレックス・カブレラ

    アレックス・カブレラから見た2009 ワールド・ベースボール・クラシック・ベネズエラ代表

    第2回WBCベネズエラ代表候補に選出されるが最終メンバーから落選。4月23日の対西武戦(京セラドーム)の1回裏に三塁走者としていた場面で、打者後藤光尊のファウルボールが右足小指に直撃し、全治2ヶ月の骨折を負った。7月7日の対ソフトバンク戦で一軍復帰を果たし、この試合で大隣憲司から決勝打を放った。この月は出場全試合で安打を放ち、月間打率.409で自身6度目となる月間MVPを獲得した。8月7?9日に行われたチームイベント「Bs大坂夏の陣」にて、外国人選手の名前に漢字を当てる企画の中で台湾時代の登録名の「亜力士」が再び使用された1。8月7日の対ロッテ戦で球審に対して暴言を吐いたとして通算6度目(オリックスとして初)の退場処分を受ける。9月19日、左胸から背筋に痛みを訴えて再び登録抹消。65試合の出場、13本塁打39打点はいずれも来日後最低だった。7月19日には一軍登録日数が8年に達し、国内移籍が可能なフリーエージェント資格取得の条件を満たしたため、翌年より外国人枠を外れ、日本人選手扱いとなった。アレックス・カブレラ フレッシュアイペディアより)

  • アレックス・カブレラ

    アレックス・カブレラから見た本塁打

    、4月29日の対ロッテ戦(グッドウィルドーム)で成瀬善久から来日250号本塁打を放つ。733試合での250本塁打は元近鉄のラルフ・ブライアントに並ぶ最速タイ記録となった。7月に故障で欠場するが、7月31日の本拠地・グッドウィルドームでの対日本ハム戦で復帰した。しかし、復帰後は調子が上がらず、一時はリーグトップに立っていた打率も徐々に下がり、打撃三部門において前年から大きく数字を下げてしまった。来日後規定打席に到達しながら30本塁打に達しなかった初のシーズンとなり、不動の4番の座もG.G.佐藤に譲ることもたびたびあった。それでも打率.295(リーグ8位)、27本塁打(リーグ3位)、81打点(リーグ5位)で、打点と本塁打はチームトップだった。得点圏打率はチームトップの.331を記録。4年ぶり3度目のベストナイン(一塁手部門)を受賞した。10月30日、西武ライオンズがカブレラとの翌年の契約を結ばない方針であることが明らかになり、11月30日付で自由契約公示された。自由契約後はオリックス・バファローズが獲得に乗り出し交渉を行ったが、薬物疑惑(後述)により交渉は難航した。アレックス・カブレラ フレッシュアイペディアより)

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