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    アレックス・ラミレスから見た稲葉篤紀

    から打率.280・29本塁打・88打点の好成績をマーク。当初の契約では「5番・右翼手」での出場を確約されていたが、キャンプ初日に右翼手のレギュラーだった稲葉篤紀の守備を見て「自分は彼(稲葉)には勝てない」と感じ、左翼手に転向したとのこと。そして同年はチームのリーグ優勝と日本一に貢献した。アレックス・ラミレス フレッシュアイペディアより)

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    アレックス・ラミレスから見た和田一浩

    4月に孫のD・J・ラミレスが誕生(夫人の連れ子であるアレックス・ラミレス・ジュニアの子)。好不調の波が少なかった過去2年と違ってシーズン当初は低打率に苦しんだが、その中でも得点圏においては勝負強い打撃を見せ、本塁打と打点を量産。夏場に入ると一気に調子を上げて打率も向上させ、最終的に打率.304、49本塁打、129打点で二冠王に輝いた。しかし、首位打者の青木宣親(ヤクルト)、シーズンMVPの和田一浩(中日)、シーズン安打数の日本新記録を挙げたマット・マートン(阪神)の3人に阻まれ、ベストナインには選出されなかった。打撃二冠のタイトルを獲得しながらベストナインに選ばれなかったのは、1960年の藤本勝巳に次いで二人目である。年間120打点4度記録これは松中信彦と並んで歴代1位であるアレックス・ラミレス フレッシュアイペディアより)

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    アレックス・ラミレスから見た藤川俊介

    主に左翼を守る機会が多かったが、守備範囲は非常に狭く、2010年には得点換算で両リーグワーストの数値を記録した。同じく刺殺数150は規定試合以上の外野手では守備固めでの起用が主だった藤川俊介に次いでリーグワースト2位を記録。失策も多く、2008年から2010年まで3年連続で両リーグの外野手でワーストの守備率を記録している。試合終盤には守備固めを送られることが多く、パ・リーグ主催の交流戦や日本シリーズでは主に指名打者として出場していた。守備能力の問題については本人も自覚しており、「守備は全力で頑張るが専門ではない。自分は打撃に尽きる」と発言している。アレックス・ラミレス フレッシュアイペディアより)

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    アレックス・ラミレスから見た落合博満

    来日当初は典型的なプルヒッターだったが、近年はボールを手元まで呼び込んで外角球を捌くことができるようになった。追い込まれると右方向に流し打つ柔軟さも兼ね備える。球種的な弱点も少なく、巨人移籍以降2010年までの通算得点圏打率.347とチャンスに強い他、同じく通算対左打率.337と左投手にも強い。落合博満はNPB最高打者としてラミレスを挙げている。アレックス・ラミレス フレッシュアイペディアより)

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    アレックス・ラミレスから見た中畑清

    巨人時代の2009年シーズンオフに監督の原辰徳から一塁への挑戦を打診されたり、DeNAに移籍した直後にも監督の中畑清が「ラミレスに外野を守らせるという固定観念はない。一塁も考えている」と発言するなど、守備の負担のより少ない一塁へのコンバート案もたびたび出ていたが、実現には至らなかった。なお、来日前のメジャーリーグ時代にはファーストで1試合、新人だったルーキーリーグ時代にはショートで64試合に出場した経験がある。アレックス・ラミレス フレッシュアイペディアより)

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    アレックス・ラミレスから見たアレックス・カブレラ

    自由契約となったラミレスに対し、右の大砲を探していた巨人とオリックス・バファローズが獲得を検討していたが、オリックスはアレックス・カブレラを獲得したため、巨人が獲得した。推定年俸は5億円(契約年数2年、総額10億円)。背番号は、「3」が長嶋茂雄の永久欠番となっているため、「5」となった。ラミレスは以前から「巨人では外国人選手が大変な思いをしている」と聞かされていたため、巨人は一番行きたくないチームだったが、巨人がラミレス自身が希望する複数年契約を提示したことに加え、ラミレス自身が原辰徳の指揮に以前から興味を持っていたこともあって巨人入りを決めたという。アレックス・ラミレス フレッシュアイペディアより)

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    アレックス・ラミレスから見た阿部慎之助

    は開幕から5番打者としてシーズンを迎えたが、開幕から結果を残したことと、4番候補の李承燁・高橋由伸の不振により、主に4番で起用されるようになった。前年の高打率を維持しながら長打力も発揮し、45本塁打、125打点で2年連続3度目の打点王を獲得し、チームのリーグ連覇に貢献した。そして2008年のセ・リーグ最優秀選手に選ばれた。交流戦においてはパ・リーグのチームの主催試合では指名打者制のため、この試合では主に指名打者として起用された。チームは中日ドラゴンズとのCS第2ステージでは初戦を落とすも第2戦に球団初のCS勝利、第3戦は引き分け、第4戦では8回に勝ち越しの2ラン本塁打を放って勝利し、6年ぶりの日本シリーズ進出を決めた。埼玉西武ライオンズとの日本シリーズでは第3戦は指名打者で出場し、第4・5戦では阿部慎之助が負傷して指名打者で出場したため左翼手として出場した。同シリーズでは併殺打が多く物足りない成績で第7戦では最後の打者となってしまったが、第1戦の唯一の打点、第2戦のサヨナラホームラン、第3戦でもソロホームランを放ち、第5戦では逆転のきっかけを作る二塁打を放つなど随所で活躍し、同シリーズ敢闘賞を受賞した。この年にフリーエージェント資格を取得したため、2009年から外国人枠を外れて日本人扱いとなった。アレックス・ラミレス フレッシュアイペディアより)

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    アレックス・ラミレスから見たイチロー

    10月4日の対横浜ベイスターズ21回戦(明治神宮野球場)において、外国人選手・右打者としては史上初のシーズン200本安打を達成、打率も.343、安打数は最終的に204安打まで達した。また、このシーズンは打率.343、122打点をマークして、100打点、200安打、打率.300以上の「100・200・300」を同時達成しているが、これは日本プロ野球史上唯一の記録で、メジャーリーグに渡った日本人選手でも、2005年の松井秀喜(ニューヨーク・ヤンキース)が114打点、192安打、打率.305を残したのが「最接近記録」で、NPB/MLBを通じて100打点以上の経験がないイチローも到達していない。この記録は確実性と長打力に加えてケガにも強い耐久性を兼ね備えていることの証ともいえるもので、MLBで最も多く記録しているのは2130試合連続出場記録を残したルー・ゲーリッグ(ヤンキース)の8回である。アレックス・ラミレス フレッシュアイペディアより)

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    アレックス・ラミレスから見た青木宣親

    4月に孫のD・J・ラミレスが誕生(夫人の連れ子であるアレックス・ラミレス・ジュニアの子)。好不調の波が少なかった過去2年と違ってシーズン当初は低打率に苦しんだが、その中でも得点圏においては勝負強い打撃を見せ、本塁打と打点を量産。夏場に入ると一気に調子を上げて打率も向上させ、最終的に打率.304、49本塁打、129打点で二冠王に輝いた。しかし、首位打者の青木宣親(ヤクルト)、シーズンMVPの和田一浩(中日)、シーズン安打数の日本新記録を挙げたマット・マートン(阪神)の3人に阻まれ、ベストナインには選出されなかった。打撃二冠のタイトルを獲得しながらベストナインに選ばれなかったのは、1960年の藤本勝巳に次いで二人目である。年間120打点4度記録これは松中信彦と並んで歴代1位であるアレックス・ラミレス フレッシュアイペディアより)

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    アレックス・ラミレスから見た古田敦也

    尊敬する人物として、若松勉、原辰徳、古田敦也を挙げている。また、ベネズエラ時代に自身に野球を教えたトマス・ガルシアが恩師であるという。選手、指導者を通しての野球人生において、「ポジティブに生きる」「リスペクト」を座右の銘としているが、これはガルシアの教えがもとになっているという。アレックス・ラミレス フレッシュアイペディアより)

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