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アンゲラ・メルケルから見たポーランド人
家系はポーランド系。帝政ドイツ時代の1896年にポズナン(ドイツ語ポーゼン)で生まれたポーランド人である祖父ルドヴィク・カズミェルチャクが第一次世界大戦でドイツ軍に徴兵され、戦後に除隊したのちベルリンに定住、グダンスク(ドイツ語の表記ではダンツィヒ)出身のカシューブ人ヘルリント・イェンツシュと結婚、長男のホルストが4歳のときの1930年に姓を「カズミェルチャク」(Kazmierczak)から「カスナー」(Kasner)に変更した。この祖父ルドヴィク(ドイツ語の発音ではルートヴィヒ)はルター派プロテスタントだった。(アンゲラ・メルケル フレッシュアイペディアより)
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アンゲラ・メルケルから見た2017年ドイツ連邦議会選挙
2017年9月24日に行われた総選挙では、CDU/CSUは議席を減らしたものの246議席を獲得し第1会派の座を維持。過半数には届かなかったため連立協議が開始されたが難航し、2018年3月になってようやくSPDが党員投票を経て再び連立政権に入ることとなり、3月14日に第4次メルケル内閣が発足した。(アンゲラ・メルケル フレッシュアイペディアより)
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アンゲラ・メルケルから見た自由民主党 (ドイツ)
初当選議員ながら、第4次コール政権の女性・青少年問題相に抜擢され、1991年1月18日に就任。ブランデンブルク州の党支部代表を目指すが、党内基盤が全くなかったため敗北。しかしシュタージへの協力という過去が明るみに出たデメジエールの辞任を受け、後任のCDUの連邦代表代理に就任した。次いで1993年には、ついにメクレンブルク=フォアポンメルン州の党支部代表に就任した。1994年10月の連邦議会選挙により成立した第5次コール政権では環境・自然保護・原発保安担当大臣に就任。前任者クラウス・テプファーの環境保護政策は経済優先のCDU党内や連立相手の自由民主党 (FDP) に受けが悪かったが、メルケルは就任3か月目にテプファー以来の事務次官を更迭してこれに応えた。なお東ドイツ時代の知人は彼女がその性向から同盟90/緑の党に参加すると思っていたので、CDUへの入党に驚いたという。ちなみに彼女の母は統一後は社会民主党 (SPD) の熱心な支持者になり、牧師である父もCDU支持者ではないという。(アンゲラ・メルケル フレッシュアイペディアより)