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  • アンドレ・ザ・ジャイアント

    アンドレ・ザ・ジャイアントから見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    その後、日本でのリングをWWWFと提携していた新日本プロレスへ移し、アントニオ猪木とも対戦(猪木とは新日本参戦後期に何試合かタッグを組んだこともある)。その猪木との1974年2月の初対戦では、当時のマネージャー、フランク・バロアがロープに飛んだ猪木の足を取ってダウンさせジャイアント・プレスでフォール勝ち。その後の対戦は猪木が掛けたキーロックをアンドレが軽々と持ち上げる、アンドレが掛けたカナディアン・バックブリーカーを猪木がロープを蹴って返しリバーススープレックスで投げるというムーブが定着した。1982年にはMSGシリーズで優勝(新日本のシングル・リーグ戦で外国人の優勝はこれが初めて)。実況アナウンサーである古舘伊知郎が、大巨人、巨大なる人間山脈、一人民族大移動などの表現を使ったことから、これらがアンドレのニックネームとなった(古舘はこの他にも「一人というには大きすぎる。二人といったら世界人口の辻褄が合わない」「人間というより化け物といった方がいいような」「都市型破壊怪獣ゴジラ」「怪物コンプレックス」「一人大恐竜」「ガリバーシンドローム」といった形容詞も使用している)。新日本プロレス登場末期には、覆面を被り、ジャイアント・マシーン(Giant Machine)と名乗って出場していたこともある。また新日本参戦末期には将軍KYワカマツが悪役マネージャーに就いた。なおマシーン軍団はWWFでもコピーされたため、アメリカでも同様のキャラのまま戦っている。晩年まで履いていた黒もしくは青のワンショルダー・タイツは、この頃の名残である(それまでは青や緑や赤のショートタイツを着用)。また、ジャイアント・マシーンの正体はいわずもがなだったが、相棒であったスーパー・マシーン(正体はマスクド・スーパースター)については、WWFオフィシャル発表では「北海道生まれの日本人」ということにされており、プロモーション用のインタビューでも珍妙な日本語を話していた。また、アンドレは国際プロレスに特別な思い入れがあったようで、新日本に1974年より本格参戦した後も同年6月と1979年7月に国際にも特別参加したことがある(1979年参戦時にはラッシャー木村のIWA世界ヘビー級王座にも挑戦)。アンドレ・ザ・ジャイアント フレッシュアイペディアより)

  • 天龍源一郎

    天龍源一郎から見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    この頃から、ライバル団体である新日本プロレスの総帥アントニオ猪木に遠慮して使っていなかった延髄斬りや卍固めを使い始め、全日本で異彩を放つようになっていく。それまでは紫のタイツを使用していたが、1982年秋頃からタイツを紫から黒へ、そして黄色の紐のシューズという、現在まで続く天龍のスタイルに変更。鶴田と次期ダブルエースの座を確立し、1984年2月リッキー・スティムボートを破りUNヘビー級のタイトルを獲得。天龍源一郎 フレッシュアイペディアより)

  • 木村健悟

    木村健悟から見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    1973年3月、坂口征二と共に新日本プロレスへ移籍。1978年、メキシコでNWA世界ライトヘビー級王座奪取。帰国後、坂口の付き人だった木村は、アントニオ猪木の付き人であったライバル藤波辰巳と1970年代後半にジュニアヘビー級チャンプを争い、大旋風を巻き起こす。二人とも美しくビルドアップされており、トペやプランチャ・スイシーダ等の場外へジャンプして飛び込むといった技は当時の日本では斬新であり若者を魅了。ゴールデンタイムでフルタイムドローになる名勝負の数々でジュニアヘビー級の人気が確立された。これにより、新日本プロレスの人気は全日本プロレスを大きく引き離した。木村健悟 フレッシュアイペディアより)

  • バックブリーカー

    バックブリーカーから見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    後述のカナディアン式と並んでパワーファイターの使用する技である。デストロイヤー、アントン・ヘーシンクも使い手。タイガー・ジェット・シンがこの技でアントニオ猪木を破った(1975年6月26日、NWFヘビー級戦)。バックブリーカー フレッシュアイペディアより)

  • 猪木快守

    猪木快守から見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    兄弟には相良寿一(松涛流空手道師範、伯オリンピック委員)、アントニオ猪木(元プロレスラー、新日本プロレス創始者、本名:猪木寛至)らがいる。猪木快守 フレッシュアイペディアより)

  • 1・2の三四郎 2

    1・2の三四郎 2から見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    アンチ格闘技系プロレスであるかのような描写もあるが(実際、掲載初期の頃「UWFはあまり好きじゃない」と作者が発言した事もある)「最初はプロレスは楽しく見るものって意識があったから。でも連載が進んでいくうちに、格闘技の持っている緊張感も必要だなってだんだん思うようになった。猪木の異種格闘技戦なんか好きだったからね」と述べている。1・2の三四郎 2 フレッシュアイペディアより)

  • 春一番

    春一番 (お笑い芸人)から見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    アントニオ猪木の物真似(猪木自身が唯一公認している)一本で勝負するスタイルで、春自身、猪木信者でもある。『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』では毎回「プロレス字読みクイズ」に当然猪木の物真似付きで出場。散々なやられっぷりを見せた後に「今日も負けてしまいましたが…」「1・2・3・ダァーッ」のマイクアピールで締めるお約束で知名度が高まるが、過度の酒好きも絡んだ素行不良により、1994年に太田プロから解雇される。春一番 (お笑い芸人) フレッシュアイペディアより)

  • IWGPリーグ戦

    IWGPリーグ戦から見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    1980年代初頭の新日本プロレス(以下、新日)は、アントニオ猪木とアンドレ・ザ・ジャイアント、スタン・ハンセンらに加えて、新人だった頃のハルク・ホーガンとの激闘でかつて無いほど絶好調の波に乗っていた(更には1981年4月23日にデビューした初代タイガーマスクの大活躍によってピークに達し『ワールドプロレスリング』の視聴率も絶好調で、テレビ朝日系列局以外の地方局も取り込み放送ネットワークを全国に拡大。地方興行も連日大入り満員だった)。新間寿は「今起こっているのはプロレスブームではない。新日本プロレスブームだ」と揚言した。IWGPリーグ戦 フレッシュアイペディアより)

  • ローラン・ボック

    ローラン・ボックから見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    ローランド・ボックと表記されていたこともあるが正しい読みはローラント・ボック。また、後述のアントニオ猪木との西ドイツでの初対戦を報じた雑誌では、明らかな間違いであるがローラン・ブルック(もしくはルボック)と紹介されたこともある。ローラン・ボック フレッシュアイペディアより)

  • ブレインサバイバー

    ブレインサバイバーから見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    2枚目のモニターは、言葉当て。モニターに映るアントニオ猪木の唇の動きだけで、どんな言葉を言ったかを読みとる。ブレインサバイバー フレッシュアイペディアより)

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