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  • ザ・ファンクス

    ザ・ファンクスから見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    1980年前後には「全日本のエースは馬場・鶴田でなくファンクス。新日本と全日本の差は猪木とファンクスの差」といわれるほどの人気を博し、1981年に復活したインターナショナル・ヘビー級王座の新王者は馬場でも鶴田でもなくドリーであり、初防衛戦の相手は弟テリーであった。しかしこの頃からブルーザー・ブロディ、スタン・ハンセンの新世代に押されるようになり、1982年の世界最強タッグ決定リーグ戦では、最終戦でハンセン&ブロディのミラクルパワーコンビに叩きのめされて反則勝ち(ハンセン・ブロディが合体攻撃によりレフェリーのルー・テーズに反則を取られる、乱闘を止めに入ったセコンドに対してもウエスタン・ラリアットの洗礼を浴びせるなど大暴れして悠然と引き上げたミラクルパワーコンビに対し、ファンクスは2人ともグロッキー状態)を拾って優勝という屈辱的なシーンも見られた。この衰退の一因にテリーの膝の故障があり、それを理由にテリーは1983年の引退を宣言。1983年8月31日に行われたテリー引退試合はファンクス人気の集大成となった感動的な興行となった。1984年にハンセン、ブロディとの遺恨や膝の回復からテリーは現役復帰するが、テリー引退以前のような熱狂的なファンクス人気は戻ってこなかった。ザ・ファンクス フレッシュアイペディアより)

  • パット・パターソン

    パット・パターソンから見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    日本には1968年4月に日本プロレスに初来日。1973年12月にはジョニー・パワーズとのコンビで北米タッグ王者として新日本プロレスに参戦、以降は新日の常連となり、1977年12月の来日時はアントニオ猪木のNWFヘビー級王座にも挑戦した。また、同年よりサンフランシスコを離れフロリダやAWAなど各地の主要テリトリーを転戦。AWAではスティーブンスとのコンビを再結成し、1978年9月に世界タッグ王座を獲得している。パット・パターソン フレッシュアイペディアより)

  • キラー・コワルスキー

    キラー・コワルスキーから見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    日本へは日本プロレスに3回来日し、1963年の第5回ワールドリーグ戦では決勝で力道山と対戦したほか、開幕戦でジャイアント馬場の凱旋帰国第一戦の相手を務め、時間切れ引き分けの熱闘を演じた。第10回大会では馬場と決勝で対戦したほかアントニオ猪木とも対戦している。1971年には第2回NWAタッグ・リーグ戦に参戦し、パイルドライバーで2人の選手を死亡させたとされていたキラー・バディ・オースチンとの「キラー・コンビ」で好成績を収めている。全日本プロレスにも2回参戦しており、1975年の第3回チャンピオン・カーニバルにも出場。同じくチャンピオン・カーニバルに出場したジン・キニスキー、ブルーノ・サンマルチノと組んでインターナショナル・タッグ王座にも2度挑戦している(王者チームは馬場&ジャンボ鶴田)。キラー・コワルスキー フレッシュアイペディアより)

  • プロレスラー

    プロレスラーから見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    日本でのプロレス団体(興行会社)運営には、多数(大抵年間100試合以上)の興行開催が必要であり、団体数も多く競合が激しいため、観客を魅了できる試合を常時提供できることが最重要となる。そのため、膠着が多いシュート(真剣勝負)は興行団体にとっては必要以上にレスラーを消耗させるものであるため極力避けるべきものであり、プロレスファンからもガチンコで発生する様な単に凄惨なだけの試合展開は好まれない。また、レスラーの多くは、試合の勝敗よりもいかに観客を満足させる面白い試合を行うこと、プロレスの業界用語で「しょっぱい」と表現される様なつまらない試合を行わないことを重要視する。かつてアントニオ猪木はリング上で「どうですかお客さぁーん?」と問いかけたことや、吉村道明がプロレスラーを「職業戦士」と呼んだことにもその一端は垣間見られる。特にファンから「しょっぱい」という評判が付く事は、選手としての長期的な格や活動にもマイナスに響いてくる為、レスラーたちは試合の敗北以上に恐れ嫌がる。この為、レスラーは肉体の鍛練、技の開発以外にも、相手の技を引き立たせられる受け身の取り方、その他のリング上での様々なパフォーマンス、客を盛り上げ、あるいは笑わせる芸、果てには相手に技を掛けられた時の苦痛の表情の見せ方に至るまで、様々な研究を積み重ねている。また、ベテランの域に達し、体力・持久力の衰えなどから魅力ある試合を観客に提供できなくなった自覚を得てプロレスラー廃業を決意する者も見られる。かのルー・テーズは「試合の出来に納得が出来なくなった」としてプロレスラーとしてのリタイヤを決意したが、この様に「試合の敗戦」ではなく「試合の出来」に自身で納得できなくなり、プロレスラーからの廃業を決意したという旨のコメントは過去にも数多い。また、人並み外れた強靭さを見せることも商売であるため、病気や負傷による療養・闘病の姿が公になることを極端に嫌うレスラーは多く、後述するがプロレスラー廃業後にはプロレスの表舞台やマスコミの前に全く姿を見せなくなる人物も多い。プロレスラー フレッシュアイペディアより)

  • 佐々木夫妻の仁義なき戦い

    佐々木夫妻の仁義なき戦いから見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    脚本の森下佳子が大のプロレスファンのため、役名のほとんどが実在のプロレスラーに由来し(主人公の「佐々木夫妻」は佐々木健介・北斗晶夫妻から取られている。その為小雪演じる律子の旧姓は、北斗の旧姓・宇野となっている)、またアントニオ猪木他プロレスラーが毎回ゲスト出演をする。佐々木夫妻の仁義なき戦い フレッシュアイペディアより)

  • レオン・ホワイト

    レオン・ホワイトから見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    その後マサ斎藤にスカウトされ、1987年12月にTPG(たけしプロレス軍団)の刺客、ビッグバン・ベイダーとして新日本プロレスに登場。アントニオ猪木対長州力のIWGPヘビー級王座選手権が予定されていたところに TPG が割り込んだため観衆の不満が爆発し、最終的に暴動にまでなるが、ベイダー自身はその騒ぎの中、猪木から3分弱でフォールを奪う(混乱の末に猪木があっけなく負けたことが観衆の怒りに拍車をかけ、新日本はこの件で会場の両国国技館を管理する日本相撲協会から国技館の使用停止処分を受けている)。レオン・ホワイト フレッシュアイペディアより)

  • 山本小鉄

    山本小鉄から見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    1971年12月、アントニオ猪木が日本プロレスを追放されると猪木に協力し、翌年の新日本プロレス旗揚げを実現させた。この頃から現場責任者・コーチとして活動している。山本小鉄 フレッシュアイペディアより)

  • ヒロ・マツダ

    ヒロ・マツダから見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    アメリカではダニー・ホッジとNWA世界ジュニアヘビー級王座をめぐって何度も対戦。史上最高のジュニアの試合と称され、各地でメインイベントを張った。ヘビー級がメインを張るのが通常だった当時のマット界では革命的な出来事である。また、アメリカ修行中のアントニオ猪木とタッグを組み、タイトルも獲得している。また、NWA世界ヘビー級王者ルー・テーズにも数度挑戦しており、60分時間切れ引き分けの闘いも演じている。ヒロ・マツダ フレッシュアイペディアより)

  • 平田淳嗣

    平田淳嗣から見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    1984年8月に帰国すると、マネージャーの将軍KYワカマツ率いる「マシン軍団」の一員として若松に操られる機械という設定の覆面レスラー「ストロング・マシーン」にギミック変更した。当時、記者がマシーンに話しかけると「ギギギ…ガガガ…」という機械音が聞こえた、という記事が新聞紙上を飾っている。後年このことを記者がたずねると「屁でもした音だろ」と答えた。9月7日、福岡スポーツセンターのメインでアントニオ猪木と一騎打ち。これがストロングマシーンでのデビュー戦となる。平田淳嗣 フレッシュアイペディアより)

  • 1・2の三四郎

    1・2の三四郎から見たアントニオ猪木アントニオ猪木

    本作の主人公。初登場当時16?17歳。天竜学園ラグビー部に所属し、持ち前の運動神経の良さで、同級生の飛鳥とともにラグビー部を背負って立つ存在であったが、練習中に部員が怪我を負った際にラグビー部を廃部から守るため、自ら濡れ衣をかぶり退部した過去を持つ(復刻版第1巻参照)。ラグビー部時代、試合中のアクシデントで頭部を負傷し、大流血となったが、その場で傷口を縫合し試合を続けた事があり、日本国外のラグビー誌にもエピソードとして紹介されている。ラグビー部を退部後、柔道部に入部しようとするが、柔道部部長の大橋の退部で柔道部唯一の部員となってしまう。しかし、空いた道場を使うべく押しかけてきた馬之助や虎吉、さらには志乃まで巻き込んでの紆余曲折の末に総合格闘部を設立し、クラブ祭でのラグビー部とのラグビー特別試合やインターハイの柔道中部地区予選(以下、柔道インターハイ予選)で活躍。高校3年の夏休みに新東京プロレス(以下、新東プロ)に入門すべく上京するが、入門テスト時に乱入してきた伝説の悪役レスラー・桜五郎に惹かれ、新東プロを蹴って桜五郎に弟子入り。以降、『ひまわり軍団(桜軍団)』に所属することとなり、ひまわり軍団所属のレスラーとして新東プロの巡業に参戦、若手戦線で五頭らと熱い戦いを繰り広げる。普段はひまわり軍団の仮の姿・横浜市鶴見区のひまわり保育園で保父として働き、夜や休日にレスラーとしてのトレーニングをしている。馬鹿力で、石頭で、スケベで、傍目からは自信過剰と思えるほどに自分の強さを裏付けとした自信に満ち溢れている。幼い頃より3度の飯よりプロレスが大好きで、ラグビーや柔道の試合でもプロレス技を相手に仕掛ける事が度々あった。プロデビュー後にショートタイツの尻に「闘魂」の2文字を入れるほどアントニオ猪木を敬愛しており、本人も猪木ばりのストロングスタイルのプロレスを標榜しているが、そのファイトスタイルは馬之助や観客からコミックショースタイルと揶揄される事もしばしば。普段は傲慢不遜とも思える言葉を発するが、志乃にシリアスな話をする時だけ、柄にもなく照れて呂律が回らなくなる。プロテインとアントンマテ茶を常用。口癖は「ウ〜シ」「ウッシャ〜〜〜」「〜なんだね」。得意技はブレーンバスター、バックドロップ(へそで投げるルー・テーズ式)、一撃で相手の戦意を削ぐ威力がある頭突き。1・2の三四郎 フレッシュアイペディアより)

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