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  • 四日市ぜんそく

    四日市ぜんそくから見たイタイイタイ病イタイイタイ病

    1960年代に入り、四日市コンビナート(第1コンビナートの工場群)に隣接する四日市市南部の塩浜地区で急激に喘息患者が急増し、鈴鹿川沿いの漁村で漁民の多い磯津地区は特に重症患者が多くて「塩浜ゼンソク」や「四日市ゼンソク」と呼ばれた。国会でも「四日市公害」や「四日市のぜんそく事件」と呼ばれて政治問題や社会問題になり、昭和45年の公害国会で環境問題が集中審議された。1967年の塩浜中学校3年生の女子学生の公害病(四日市ぜんそく)による死亡を契機に四日市市民の怒りが爆発して、悲惨な状況を打破するため前川辰男(日本社会党所属の四日市市議会議員)はコンビナートの企業の内、明らかに加害行為が立証された6社(塩浜地区付近の化学系企業の石原産業、三菱油化、三菱化成工業、三菱モンサント化成と四日市港付近の石油系企業の中部電力、昭和四日市石油)のみに絞り込み、四日市公害訴訟を開始した。一つの企業のみの加害行為(水俣病はチッソが加害企業、イタイイタイ病は三井金属鉱業が加害企業、新潟水俣病は昭和電工が加害企業)が明らかだった他の四大公害病の水俣病・イタイイタイ病・新潟水俣病と比較して、複数の工場群(四日市コンビナートには多数の企業が存在する)による四日市公害を裁くのは困難を極めたが、弁護団や科学者など多くの支援によって1972年に四日市公害裁判に勝訴した。四日市ぜんそく フレッシュアイペディアより)

  • 神通川

    神通川から見たイタイイタイ病イタイイタイ病

    高度成長期、主に大正時代から昭和40年代にかけて神通川流域でイタイイタイ病が問題化した。これは、岐阜県の神岡鉱山(三井金属鉱業株式会社管理)から出された廃液中のカドミウムを原因とする公害病であった。神通川 フレッシュアイペディアより)

  • 三井金属鉱業

    三井金属鉱業から見たイタイイタイ病イタイイタイ病

    神岡鉱山採掘からスタートし、財閥解体に伴う三井鉱山(現・日本コークス工業)からの分離により会社設立。設立当初は朝鮮戦争の特需景気により金属価格が高騰、優良企業として業績を伸ばした。しかしながら、1980年代の急激な円高による地金価格の下落、神岡鉱山の亜鉛精錬を原因とするイタイイタイ病に対する補償などで業績は悪化、長期無配となるなど長く経営不振が続いた。三井金属鉱業 フレッシュアイペディアより)

  • 神岡町 (岐阜県)

    神岡町 (岐阜県)から見たイタイイタイ病イタイイタイ病

    岐阜県の北東端に位置し、山岳に囲まれた河岸段丘に市街地がある。亜鉛を産出し、イタイイタイ病の原因となった神岡鉱山があり、この町は特に近世以降は鉱山の町として栄えた。市街地を神通川の支流高原川と、そのさらに支流の吉田川・山田川が流れ、また町の北部には同じく高原川の支流である跡津川が流れている。跡津川の支流の一つ打保谷川上流に「山之村地区」があるが、川沿いに道はなく、市街地から10km以上離れている上どこから行くにも峠越えになり冬季になると往来可能な道が一つだけになるため、年々過疎化が進んでいる。神岡町 (岐阜県) フレッシュアイペディアより)

  • イ病

    イ病から見たイタイイタイ病イタイイタイ病

    イ病 フレッシュアイペディアより)

  • 農用地の土壌の汚染防止等に関する法律

    農用地の土壌の汚染防止等に関する法律から見たイタイイタイ病イタイイタイ病

    「農用地の土壌の汚染防止等に関する法律」制定の直接のきっかけは、1968年、神通川流域(富山県)において、イタイイタイ病が発生したことである。イタイイタイ病は、神岡鉱山からの排水に含まれていたカドミウムによって河川水が汚染され、それを灌漑水として利用していた農地が汚染され、その上でこの農地で生産されたコメを摂取したことによる慢性中毒を原因とする公害病である。1970年、この公害事件を受けて国は、公害対策基本法(現行、環境基本法)に「土壌汚染」を追加するとともに、「農用地の土壌の汚染防止等に関する法律」を制定した。農用地の土壌の汚染防止等に関する法律 フレッシュアイペディアより)

  • 安中公害訴訟

    安中公害訴訟から見たイタイイタイ病イタイイタイ病

    1968年、富山県で起きたイタイイタイ病が報道された。同じカドミウムが原因だということを知った期成同盟の住民らは、5月7日、手書きの壁新聞を20枚作成。高崎市でこれを張り出そうと考え、高崎土木事務所で掲示許可を申請。高崎土木事務所は、1枚を証拠として保存することとし、残り19枚の掲示を許可した。地元安中市で張り出さなかったのは、どうせ工場側・市当局によってすぐにはがされると考えたためであった。この壁新聞の反響は大きく、同年10月11日には高崎中央病院が住民の検診を実施。同10月22日には安中公害をなくす会準備会が結成された。岡山大学農学部教授の小林純は10月6日に、安中地区の公害被害について研究結果を発表した。安中公害訴訟 フレッシュアイペディアより)

  • 水質汚濁防止法

    水質汚濁防止法から見たイタイイタイ病イタイイタイ病

    水質汚濁防止法が制定されるまでは、昭和33年(1958年)に制定された公共用水域の水質の保全に関する法律(水質保全法)、工場排水等の規制に関する法律(工場排水規制法)によって、規制が行われていた。この二法は、1958年6月に起こった東京都江戸川区の本州製紙工場の排水が江戸川に流失し、東京湾河口部の漁場を汚染、それに抗議した東京都と千葉県の被害漁民が門を閉ざした同工場に侵入し、警官隊ともみ合い、数十人の負傷者を出した水質汚濁事件をきっかけに成立した。その事件は、江戸川の一源流である渡良瀬川の鉱毒事件を一号にして、大正・昭和期の水質汚染問題をあぶりだし、さらに1950年代初期から問題となっていた水俣病及びイタイイタイ病への対策として制定された。しかし、規制水域や規制対象業種を個別に指定するため、実効性が不十分であり、1960年代になっても、第二水俣病のような公害が発生し、水質汚濁の未然防止ができなかった。このため、排水規制のしくみを全般的に強化するため、昭和45年に制定されたのが、水質汚濁防止法である。水質汚濁防止法 フレッシュアイペディアより)

  • 梨木作次郎

    梨木作次郎から見たイタイイタイ病イタイイタイ病

    議員落選後もスモン病やイタイイタイ病を中心に公害訴訟の弁護団長などを務めていたが、1993年4月9日、前立腺がんのため石川県金沢市内の自宅で死去。85歳。梨木作次郎 フレッシュアイペディアより)

  • 重松逸造

    重松逸造から見たイタイイタイ病イタイイタイ病

    イタイイタイ病やスモンなどの疫学的研究、原爆被爆者追跡調査などを指導した。重松逸造 フレッシュアイペディアより)

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