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近藤忠孝から見たイタイイタイ病
1932年4月2日、東京都北区にて化学工場の労働者の子として生まれる。東京都立大学(現首都大学東京)人文学部を卒業後の1960年に日本共産党へ入党。1962年には弁護士を開業、黒田法律事務所(現東京法律事務所)へ入り各種労働事件の弁護を担当する。1965年に青年法律家協会議長、1968年にはイタイイタイ病弁護団副団長に就き、裁判で全面勝訴を勝ち取る。イタイイタイ病裁判では、「勝利するためには被害者のいる現地・富山で弁護士として活動することがどうしても必要」として、一家で当時居住していた東京都から富山へ移住しており、NHK歴史情報番組「その時歴史が動いた 苦しむ患者を救いたい?イタイイタイ病裁判・弁護士たちの闘い?」(2007年3月7日放映)にゲスト出演し当時の状況を証言した。(近藤忠孝 フレッシュアイペディアより)
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丸山照雄から見たイタイイタイ病
1970年(昭和45年)、東寺真言宗の松下隆洪らと共に、公害を起こした企業を呪い殺す「公害企業主呪殺祈祷僧団」を組織し、四日市市(四日市喘息)や神岡町(イタイイタイ病)などを行脚。それが教団内で問題となり、同研究所を辞職させられ、教団の役職すべてを辞す。以後は宗派にとらわれない広範な宗教・評論活動をおこなう。特に「行動する仏教徒」として、社会的弱者の救済や評論活動に力を入れ、伝統仏教の改革、仏教の国際ネットワーク形成を提唱し活動。仏教者国際連帯会議、天晴塾、日蓮研究会などを主宰した。歴史学者の上原専禄の晩年に師事していた。朝日カルチャーセンターの開設初期には宗教講座を担当していた。(丸山照雄 フレッシュアイペディアより)