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  • 松井秀喜

    松井秀喜から見たイチローイチロー

    は自身初の開幕4番スタートだったが、5月からは落合博満が4番に返り咲き、松井は3番に戻った。その後チームの上昇と共に成績も上昇し、夏場には7月、8月と2か月連続で月間MVPを獲得するなど、大逆転優勝に大きく貢献。初のセ・リーグMVPを受賞した。リーグ最終戦まで山崎武司、大豊泰昭と本塁打王を争っていたが、山崎に1本リードされて迎えた10月8日シーズン最終戦の中日戦では長嶋の配慮で自身初の1番打者として出場したが、4打席すべてで敬遠されてタイトルを逃した(結果は山崎が39本で本塁打王に輝いた)。観客席の巨人ファンからは罵声が飛び交ったが、松井自身は「しょうがない。タイトルを取れなかったのは、悔しいけど、(高校時代の)五打席連続敬遠の方が悔しかった」と、比較的サバサバした様子だった。それでも、22歳での38本塁打は王貞治に並ぶ年齢別最多本塁打記録。また、同一投手からのシーズン最多本塁打のタイ記録の7本塁打を斎藤隆から放った。この年の斎藤隆との対戦成績は25打数7安打で、安打のすべてが本塁打であった。最終的に130試合に出場し、打率3割1分4厘、38本塁打、99打点の成績を残した。この年は日米野球に出場し、敬遠されたことでも話題になった。尚、この時の松井の敬遠以降は日米野球では日本の打者が敬遠されることは長らくなく、2014年に松田がされるまでなかったという。契約更改では倍増の1億6000万円で一発サインした。高卒選手ではイチローと並ぶ史上最短(当時)の入団4年目で1億円プレーヤーの仲間入りを果たした。松井秀喜 フレッシュアイペディアより)

  • オリックス・バファローズ

    オリックス・バファローズから見たイチローイチロー

    5月終了時点で14勝27敗で最下位に沈むなど低迷したが、投手では新人の長谷川滋利、野手では7年目の高橋智の活躍もあり6月以降は復調。しかし、自慢のブルーサンダー打線は上手く機能できず投手陣でも若手ベテラン問わずの不調や怪我もあり3位に終わる。この年のドラフトでは1位で田口壮を、そして4位で鈴木一朗(後のイチロー)を獲得した。ブーマーが退団した。オリックス・バファローズ フレッシュアイペディアより)

  • 博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜

    博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜から見たイチローイチロー

    2004年バスマスタークラシック優勝、バスプロ界のイチローこと大森貴洋(ルアーを振った瞬間落とされる)博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜 フレッシュアイペディアより)

  • 2016年の日本

    2016年の日本から見たイチローイチロー

    MLBではイチロー選手が通算3000安打を達成した。プロ野球では、広島東洋カープの25年ぶりのセ・リーグ優勝と、日本一となった北海道日本ハムファイターズの大谷翔平の活躍ぶりが話題となった。2016年の日本 フレッシュアイペディアより)

  • 榎本喜八

    榎本喜八から見たイチローイチロー

    1962年シーズン途中から1972年までオリオンズの本拠地だった東京球場で、最も多く本塁打を打った選手である。パ・リーグのみでの通算409二塁打は福本豊の449二塁打に次いでパ・リーグ歴代2位の記録であり、通算1062四球はパ・リーグ歴代5位。また1960年から1962年までの3年連続を含み、通算で4回最多安打に輝いた。シーズン安打数リーグ1位を4回は、福本豊、ブーマー・ウェルズと並ぶパ・リーグ歴代2位である(イチローに抜かれるまではパ・リーグ記録)。榎本喜八 フレッシュアイペディアより)

  • デレク・ジーター

    デレク・ジーターから見たイチローイチロー

    9月28日にボストン・レッドソックス戦の3回表、三塁への内野安打で三塁走者のイチローを返し、タイムリーヒットを記録したところで代走と交代。観客の大きな拍手・声援を受けながら笑顔で監督のジョー・ジラルディやチームメイトと抱き合い、ベンチへと下がった。現役最後の試合で3465本目の安打を放ち、20年間のキャリアに幕を閉じた。試合後、「心身の全てをささげてきた。自分のやりたいことを最後までやり切ることができた。本当に幸せだ」と話した。デレク・ジーター フレッシュアイペディアより)

  • 松井稼頭央

    松井稼頭央から見たイチローイチロー

    6月26日からの福岡ダイエーホークス3連戦で連続猛打賞を達成するなど、1試合3安打以上は21回記録。また、6月28日のダイエー戦ではプロ野球史上4人目、パ・リーグ史上初の初回先頭打者ランニング本塁打を記録した。2年連続となる盗塁王に輝き、打率もチームで唯一3割台に乗せた(.311、リーグ5位)。安打数は179安打を記録したが、1位のイチローには2安打及ばず、最多安打のタイトルの獲得はならなかった。その他、連続試合出塁39試合、そして前述の猛打賞21回はリーグ1位だった。シーズンMVP投票では1位票数ではイチローに及ばなかったものの合計ポイントで上回り、自身初のシーズンMVPを受賞した。横浜ベイスターズとの日本シリーズでは、第3戦に走者一掃の3点2塁打を放ったものの、全6試合で24打数5安打(打率.208)4打点2盗塁、得点0と精彩を欠き、チームも日本一を逃した。松井稼頭央 フレッシュアイペディアより)

  • 張本勲

    張本勲から見たイチローイチロー

    8月19日の西鉄ライオンズ戦で、東尾修投手から史上7人目となる2000本安打を達成。には通算7回目となる首位打者に輝いた。首位打者7度はイチローと並ぶ日本記録である。「安打製造機」の異名を取り、南海ホークスの野村克也らと共に1960年代から1970年代のパ・リーグで活躍した。張本勲 フレッシュアイペディアより)

  • 福本豊

    福本豊から見たイチローイチロー

    福本はプロ入り当初より960 - 980gの重いバットを使用していた。その後藤原満(南海)が使用していた径の太い「つちのこバット」を、大熊(近畿大学で藤原の先輩)が手に入れ、そのうちの1つをモデルにミズノで自分のバットを作った。このタイプのバットで打撃練習をすると「コーン」と良い音がして、強くて速い打球が打てたという。これをきっかけに福本は「つちのこバット」でしっかり振り切る練習を繰り返した。このときのトレーニングが功を奏し、小柄な体格のわりには長打力も身につき、シーズン2桁本塁打を20年間で11度記録(最多で21本塁打)し、に高橋由伸に更新されるまではシーズン初回先頭打者本塁打の日本タイ記録(1972年の8本)保持者でもあった。なお、通算43本は現在も日本記録である(日米通算ではイチローが更新)。この戦法はのちの俊足打者にも強い影響を与え、若松勉(ヤクルト)・大石大二郎(近鉄)らもつちのこバットを愛用していた。1976年の日本シリーズでは投手の山口高志や山田も福本のバットを使用して安打を放っており、福本は著書でこのバットなら「ピッチャーでも、ボールに当てるのはそれほど難しくなかった」と記している。「つちのこバット」の重さは当初1200gで10年目頃に1080gに「落ち着いた」という。福本豊 フレッシュアイペディアより)

  • 1994年の日本

    1994年の日本から見たイチローイチロー

    「すったもんだがありました」(宮沢りえ)、「イチロー (効果)」、「同情するならカネをくれ」(安達祐実)が新語・流行語大賞の年間大賞を受賞した(その他の受賞語は後節「」も参照)。1994年の日本 フレッシュアイペディアより)

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