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  • 初芝清

    初芝清から見たイチローイチロー

    1995年、パ・リーグ打点王のタイトルはロッテのシーズン最終戦を残した9月27日現在で初芝79打点(残り1試合)、田中幸雄79打点(残り3試合)、イチロー78打点(残り3試合)と僅差で争っていた。一方、初芝は初のシーズン3割もかかっていて、9月27日現在で.302(454?137)。最終戦で4打数0安打だと3割を切ってしまう(458?137.2991)ため、3割を切る可能性が出た時点で交代させると首脳陣から打診されたが、本人は「3割よりタイトルを狙いたい」とこの提案を拒んだ。そしてその最終戦では3打席凡退し(457?137.2997)、今季最終打席になるであろう第4打席は8回2死走者無しでまわってきた。凡退すれば3割をフイにするうえ、走者無しのため本塁打でないと打点を上乗せ出来ない状況で、見事にレフトへ本塁打(投手豊田清)を打ち1打点を加え80打点でシーズンを終了。シーズン3割も確保した(458?138.301)。最終的に3人が80打点で並びタイトルを分け合うことになったとはいえ、このシーズン最終打席の本塁打により選手生活で唯一の打撃タイトル(打点王)を獲得、同時にシーズン3割を達成することが出来た。初芝清 フレッシュアイペディアより)

  • 榎本喜八

    榎本喜八から見たイチローイチロー

    豊田泰光は「打撃の上手さでは史上最高の一塁手。とにかく打てないコース、高さというものがほとんど存在しない。この点では、川上さんや大下弘さん、イチローより上。これは断言できる。すごいの形容しか見つからない打者」と語っている。榎本喜八 フレッシュアイペディアより)

  • 広瀬叔功

    広瀬叔功から見たイチローイチロー

    1963年(この年と翌1964年の2年間のパ・リーグは150試合制)には187安打を放ち、最多安打を記録。これは1994年にイチローに抜かれるまで31年にわたってパ・リーグ記録だった。開幕から100安打到達61試合も、1994年イチローの60試合到達まで日本記録だった。 同年の676打席はパ・リーグ記録(2005年に赤星憲広に抜かれるまで日本記録)、626打数は日本記録である。広瀬叔功 フレッシュアイペディアより)

  • 2007年の野球

    2007年の野球から見たイチローイチロー

    (現地時間)MLBオールスターゲームの出場選手が発表され、イチロー外野手(マリナーズ)がアメリカンリーグ外野手部門3位で7年連続の出場を果たした。このほか日本人選手では、斎藤隆投手(ドジャース)が監督推薦で初出場を決めた。松坂大輔投手(レッドソックス)、松井秀喜外野手(ヤンキース)らは出場を逃した。なお、インターネット投票で決まる「32人目の選手」候補にレッドソックスの岡島秀樹投手がノミネートされた。2007年の野球 フレッシュアイペディアより)

  • 2000年代

    2000年代から見たイチローイチロー

    10月1日 - メジャーリーグでシアトルマリナーズのイチローが84年ぶりに年間最多安打262の新記録を樹立。2000年代 フレッシュアイペディアより)

  • 片岡易之

    片岡易之から見たイチローイチロー

    、WBC日本代表に選出された。片岡を選出した理由として日本代表監督の原辰徳は「足(走塁)で代表に選んだ」という程、片岡の走塁技術の高さが評価された形になった。その際、片岡をトランプの「JOKER」と例えた。また、イチローも「ファミスタの『ピノ』みたいでしょ」と評しており、一次候補選手の中では中島裕之・岸孝之に並ぶキーマンに挙げた。一次ラウンドこそ出番はなかったが、キューバ戦から主に先発が左投手時にスタメンに。決勝・韓国戦では、同点の7回表、先頭打者としてレフト前ヒットで出塁すると続くイチローの打席では1ボールからの2球目で盗塁に成功。さらにイチローのバントヒット、中島裕之のレフト前ヒットと続き、片岡が貴重な勝ち越しのホームを踏んだ。片岡易之 フレッシュアイペディアより)

  • メルキー・メイサ

    メルキー・メイサから見たイチローイチロー

    セプテンバーコールアップでメジャー昇格したものの、外野にはイチローやカーティス・グランダーソン、ニック・スウィッシャーなどのレギュラー選手がおり、また控え選手でも、クリス・ディッカーソンや怪我から復帰してきたブレット・ガードナーもおり、チームも熾烈な優勝争い中とあってなかなか出場機会が回って来なかった。メルキー・メイサ フレッシュアイペディアより)

  • 川崎宗則

    川崎宗則から見たイチローイチロー

    鹿児島県姶良市出身。実家は父が開業したという電気工務店「川崎電気工事」で、自身も高校時代に電気工事士の資格を取得している。兄の影響で野球を始め、小学生から高校生まで一貫して遊撃手だった。元々右打ちだったが中学時代にイチローの影響で左打ちに変える。鹿児島県立鹿児島工業高等学校では甲子園出場は無く、全国的には無名だったが、50m走5秒8の俊足で左打ち・安打数の多さから「サツロー(薩摩のイチロー)」と呼ばれた。川崎宗則 フレッシュアイペディアより)

  • 2006 ワールド・ベースボール・クラシック

    2006 ワールド・ベースボール・クラシックから見たイチローイチロー

    日本と韓国は予選リーグから数えて短期間で3度目の対戦となった。対韓国戦2連敗の日本はオーダーに大きく手を加え、これまでリードオフマン(1番)として起用してきたイチローを3番に据えた。先発は上原浩治と徐在応。6回までは単発のヒットは出るものの両軍共に無得点と過去2回の対戦と同様の典型的な投手戦となった。2006 ワールド・ベースボール・クラシック フレッシュアイペディアより)

  • 1996年のオールスターゲーム (日本プロ野球)

    1996年のオールスターゲーム (日本プロ野球)から見たイチローイチロー

    第1戦はプロ生活21年目で初のファン投票選出となった山本和範(近鉄)がその期待に応えるべく代打で登場の6回裏に逆転本塁打を放ちMVPを獲得。第2戦は投手・イチロー対打者高津臣吾が実現。4点を追う全セが9回裏2死で迎える打者が巨人の主砲・松井秀喜という場面で余裕たっぷりの仰木監督がファンサービスにとイチローを登板させた。これに対して全セ野村監督が侮蔑行為だとばかりに自軍の投手・高津を代打に送った。結果はイチローの勝利で終りゲームセット。この出来事は球界に波紋を広げた。第3戦も「投手・イチロー」と行きたかった仰木監督であったが、これを引き下げた。1996年のオールスターゲーム (日本プロ野球) フレッシュアイペディアより)

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