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マナカナから見たイチロー
マイアミ・マーリンズ所属のメジャーリーガー、イチローとは11歳当時にハウス食品のCMで共演して以来の付き合いであり、毎年数回食事を共にしたり国際電話をする仲だという。舞台へ出演する際にはイチローより贈られた楽屋暖簾を使用し、イチローが観劇に訪れることもある。関西学院大学在学中には学内の食堂で一緒に食事をしたこともあり、イチローは学生風の格好で帽子を深く被ってジャンボカツカレーを食べていたが途中で見つかり学内が大騒ぎになったとのことである。WBCでの気さくなイチローが人気を博したことについて、2人はNHKのメジャーリーグPR番組で「あれが本当のイチローさんなんです。だから嬉しかった」と語っている。また「何気ない一言が多くの人に影響を与えるので軽率に話さない」「天才と呼ばれていてもその影には多くの努力がある」ということを学んだと語っている。2011年6月にはイチローのメジャーリーグ移籍から11年目にして初めて念願のシアトルのセーフコ・フィールドでの試合観戦を果たした。(マナカナ フレッシュアイペディアより)
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黒田博樹から見たイチロー
は野茂英雄、松坂大輔に次いで日本人史上3人目の開幕投手として4月6日のパドレス戦に先発し、5回2/3を4安打1失点の投球で白星を挙げる。しかし直後に左脇腹を痛めて10日に故障者リスト入りする。6月1日のダイヤモンドバックス戦で復帰し、23日のシカゴ・ホワイトソックス戦で復帰後初勝利を挙げる。28日のシアトル・マリナーズ戦ではイチローとメジャー初対戦。7月12日のミルウォーキー・ブルワーズ戦では登板間隔の関係からメジャー初の救援登板したが、1回1/3を投げ2安打3失点を喫した。前半戦はWHIP1.14と安定した投球を続けるも3勝5敗、防御率4.67を喫する。8月16日のダイヤモンドバックス戦ではラスティ・ライアルの打球を頭部に受け故障者リスト入りする。9月6日のパドレス戦で復帰し、最終的に規定投球回には達しなかったが、後半戦は5勝2敗、防御率2.98、WHIP1.13と好投を続け、チームは2年連続の地区優勝を果たす。ポストシーズンでは首痛でセントルイス・カージナルスとのディビジョンシリーズは登録を外れ、フィリーズとのリーグチャンピオンシップシリーズで第3戦に先発するが、1回1/3を6失点で降板。チームは前年に続き第5戦で敗退した。(黒田博樹 フレッシュアイペディアより)
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山本和範から見たイチロー
その後、南海ホークス・福岡ダイエーホークスで門田博光、佐々木誠らと共に主力選手として活躍、類稀な勝負強さを発揮した。南海がダイエーに身売りし、フランチャイズが大阪市(大阪球場)から福岡市(平和台野球場)へ移転した際、読売テレビの取材で「私自身大阪球場が最高の球場だと思っておりましたもので、非常に残念です」とコメントした。また、後に近鉄に復帰したにもかかわらず「最高の野球ファンはホークスファン」と公言していた。以降は、数少ない地元福岡県出身の選手ということもありチーム随一の人気選手であった。シーズン途中の5月中旬、長年その顔つきからドラキュラを略した「ドラ」と呼ばれていた自らのニックネームについて「学校で子どもがいじめられる」という理由で球団に登録名の変更を申請、約2か月後の7月25日の試合から登録名をカズ山本に変更し出場、『バントをしない2番打者』として打率でイチローに次ぐリーグ2位、かつ自己ベストの打率.317の成績を残し、同年末の契約更改で年俸が2億の大台に達する。(山本和範 フレッシュアイペディアより)
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仰木彬から見たイチロー
1993年の1年間朝日放送(ABC)・九州朝日放送(KBC)・スポーツニッポンの解説者を務めた後、1994年よりオリックス・ブルーウェーブの監督に就任。就任後、これまで二軍生活を続けていたイチローをすぐに一軍で抜擢し大活躍させ、その他にも前任の土井正三監督時代から期待されながらイップスに陥っていた田口壮を外野手として起用し成功させるなど、土井の時代に停滞していた才能を次々に開花させた。就任1年目の1994年のシーズンに早速チームを2位に浮上させると、翌年の1995年には阪神・淡路大震災に遭い、一時は試合開催さえ危ぶまれた状態から、『がんばろうKOBE』を合言葉に、オリックスとして初のリーグ優勝に導く。日本シリーズでは野村克也監督率いるヤクルトスワローズと対戦するが、1勝4敗で日本一ならず。(仰木彬 フレッシュアイペディアより)
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片岡治大から見たイチロー
はWBC日本代表に選出された。日本代表監督の原辰徳は「足(走塁)で代表に選んだ」と語り、片岡を「JOKER」と例えた。また、イチローも「ファミスタの『ピノ』みたい」と評し、一次候補選手の中では中島裕之・岸孝之に並ぶキーマンに挙げた。第一ラウンドこそ出番はなかったが、第二ラウンド初戦のキューバ戦から主に先発が左投手時にスタメン出場。決勝・韓国戦では、同点の7回表、先頭打者としてレフト前ヒットで出塁すると続くイチローの打席では1ボールからの2球目で盗塁に成功。さらにイチローのバントヒット、中島裕之のレフト前ヒットと続き、片岡が貴重な勝ち越しのホームを踏んだ。大会通じて打率.308、盗塁は1位タイの4盗塁を挙げ、慣れない三塁手の守備も手堅くこなし、WBC2連覇に貢献した。(片岡治大 フレッシュアイペディアより)
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