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    イチローから見たデレク・ジーター

    米国の野球ファンの間でもイチローの評価は高く、「メジャーで最高の選手」と評価する声もある。地元シアトルでは非常に人気が高く、熱心なマリナーズファンのみならず、現地の子供達の間でも、スーパースター的な位置づけを受けている。2007年には、ESPNが行った「マリナーズの顔は誰?」というアンケートで、投票総数3万4166票中96%の票を集めて1位に選ばれた。同年のシアトルの地元紙が企画したファン投票では、地元選手の人気第1位に輝いた。2005年にスーパーボウル進出を果たしたNFLチーム、シアトル・シーホークスでリーグMVPに輝いたRBショーン・アレキサンダーをも凌ぐ快挙に、マルティネス球団マーケティング担当重役もあらためてイチローの存在感に驚かされたという。また、同年にESPNがウェブサイト上で実施した「あなたが理想とする打順は?」というファン投票では、「理想の1、2番打者」の項目でおよそ39%の支持を集め、デレク・ジーター(ニューヨーク・ヤンキース)を抑えてトップに立った。さらに、スポーツ専門誌「Sporting News」が発表した、MLB488選手らの投票によるオールスターにも、アリーグ外野手部門で選出された。翌2008年には、4大ネットワークのひとつ、FOXが各ポジション別に現時点で最高のプレーヤーを選出すると、三塁手のアレックス・ロドリゲス(ニューヨーク・ヤンキース)、右翼手のブラディミール・ゲレーロ(ロサンゼルス・エンゼルス)らそうそうたる顔ぶれの中で、イチローがメジャー最高の中堅手に選出された。打者に不利なセーフコフィールドを本拠地としながらも高打率をマークしたことに加え、広い守備範囲と強肩でディフェンス面でも最高の中堅手であり、通算272盗塁(2007年終了時)を決めていることと合わせ、走攻守すべてを絶賛した。同年1月にマリナーズの公式サイトが発表した「チームの歴代ベストナイン」では、右翼手で選出された。2007年のオールスターゲームでMVPを獲得した際には、ニューヨーク・タイムズなどの主要メディアが、こぞってトップニュースで報じ、「だれもイチローを倒せない」「歴史をつくった」と賛辞を送った。2008年3月には、スポーツ総合誌「ESPN」の10周年記念特集号で、「この10年で最もスポーツ界にインパクトを与えた10人のアスリート」に選出され、女子テニスのウィリアムズ姉妹や、アレックス・ロドリゲスらと共に名を連ねた。イチロー フレッシュアイペディアより)

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    イチローから見た松井秀喜

    愛工大名電時代から地元では有名な選手で、愛知を代表する名門野球部において1年時からいきなりレギュラーを獲得(ポジションは三塁手で打順は主に1 - 3番) 。2年時に夏の甲子園(左翼手として出場)、3年時に春の甲子園(投手として出場)と2度甲子園に出場したものの、いずれも初戦敗退に終わっている。高校時代の監督は中村豪。松井秀喜とはこの頃から練習試合を通じて面識があった。高校3年生の地方大会での打率が7割以上を記録していた程の打者だった。イチロー フレッシュアイペディアより)

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    イチローから見た張本勲

    、打率.358、181安打でシーズンを終え、張本勲の4年連続を抜いて日本プロ野球史上初となる5年連続首位打者獲得を達成、5年連続・通算5回目となる最多安打も記録した(連続回数、通算回数ともにパ・リーグ記録。5年連続は長嶋茂雄の6年連続に次いで歴代2位、通算5回は長嶋茂雄の10回、川上哲治の6回に次いで歴代3位)他、リーグ最多敬遠も4年連続となった。イチロー フレッシュアイペディアより)

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    イチローから見たアレックス・ロドリゲス

    4月2日のオークランド・アスレチックスとの開幕戦に、1番・右翼手で先発出場。第4打席にセンター前へメジャー初安打を放ち、第5打席にはバント安打を記録して2安打1得点の活躍でチームの勝利に貢献するという好スタートを切った。4月11日は敵地オークランドで三塁を狙ったテレンス・ロングを完璧な送球で刺して大きな話題を呼んでいる(後述)。その後も順調に安打を積み重ね、4月から5月にかけて2か月連続でこの年から制定された月間新人MVPを受賞。オールスターゲームではファン投票で337万票を獲得。日本からの68万票を差し引いても両リーグ通じて1位となる得票数で初選出された。オールスターでは先発のランディ・ジョンソンと対戦。内野安打を放ち、盗塁も記録した。7月はキャリアを通じて自己ワースト(当時)となる21打席連続無安打を喫し失速するが、翌月から復調。8月28日には132試合目での200安打に到達。9月8日には1996年にアレックス・ロドリゲスが記録した球団最多安打記録の215安打を更新。再び8月と9月の2か月連続で月間新人MVPを受賞する活躍で、シーズン116勝(メジャータイ記録)でのチームの地区優勝に大きく貢献した。マリナーズのこの活躍は、コミッショナー特別表彰を受けとることになる。イチロー フレッシュアイペディアより)

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    イチローから見た野茂英雄

    4月10日の開幕戦は9番・中堅手としてスタメンに起用され、翌日の試合では1番打者を務める。その後は控えにまわり、6月12日の対近鉄バファローズ戦(長岡市悠久山野球場)で再び1番・中堅手としてスタメン出場を果たす。同試合では野茂英雄からプロ初本塁打を放った。以降も6月23日まではスタメン起用されるが、打率1割台という不振のため2軍行きを命じられる。イチロー フレッシュアイペディアより)

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    イチローから見た川崎宗則

    怪我のリスクを最小限に抑える目的から、ヘッドスライディングはほとんどすることはない。特に一塁へのヘッドスライディングは最も嫌うところであり、これを行った福岡ソフトバンクホークスの川崎宗則に対して苦言を呈したことが話題になった。盗塁や進塁の際、アウトになる危険性が高いと判断したときには、トップスピードでのスライディングや走塁から急停止して野手のタッチのタイミングを外す高度なフェイントを見せることがある。2005年5月15日のボストン・レッドソックスとの試合では、本塁突入の際にホームベース前で急停止した後、外野からの返球を受けてブロックの体勢に入っていた相手捕手のダグ・ミラベリの背中を飛び越そうとするプレーを見せた他、2012年10月8日のディビジョン・シリーズでのボルチモア・オリオールズとの試合では、アウトのタイミングであったのにもかかわらず相手捕手のマット・ウィータースのタッチを二度もかわして生還するプレーを見せている。イチロー フレッシュアイペディアより)

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    イチローから見たバーニー・ウィリアムス

    2012年7月23日、D.J.ミッチェルとダニー・ファーカーとの2対1のトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍。移籍発表の記者会見の場では、自ら移籍を志願していたことを明かすと「11年半、ファンの方と同じ時間、思いを共有したことを振り返り、自分がマリナーズのユニホームを脱ぐと想像したときに、大変さびしい思いになったし、今回の決断は大変難しいものだった。オールスターブレークの間に自分なりに考えて出した結論は、20代前半の選手が多いこのチームの未来に、来年以降僕がいるべきではないのではないか。また、僕自身環境を変えて刺激を求めたい、という強い思いが芽生えた」と語り、ヤンキースへの移籍に対する心意気として「結果的には一番勝ってないチームから、一番勝っているチームに行くということになるので、テンションの上げ方をどうしようかなと思います」と語った。オリックス時代から慣れ親しんできた背番号51は、ヤンキースではイチロー自身も憧れていたバーニー・ウィリアムスがかつて付けていた番号ということもあり「とてもつけることはできない」と固辞し、背番号は31となった。イチロー フレッシュアイペディアより)

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    イチローから見たアルバート・プホルス

    1軍に定着したNPB時代の1994年シーズンからメジャー移籍後の2010年シーズンまで、17年連続で打率3割以上を記録し続け、その間に首位打者を9度獲得。さらにメジャーでの通算打率も現役選手中2位(1位はアルバート・プホルス)の高打率を記録しているが、本人は「打率は変動するが、安打は積み重ねることができる」との理由から、打率よりも安打数を重視している。2002年に行われたインタビューでも、「シーズンを終えて『199安打で4割』と『ジョージ・シスラーのメジャー記録を上回る258安打で3割9分9厘』、イチローはどちらを望むのか」と質問され「僕が210本のヒットを打った94年に、よく訊かれたことがあるんです。それは、『199本で4割ピッタリだったとして、次の打席はどうするか』ということだったのですが、いつも決まってこう答えていました。『決まり切ったこと、訊かないでください』と。もちろんそれは今も変わりません」と答えている。また、NPB/MLB合わせて12回記録している最多安打は、すべて両リーグ最多安打である(メジャーでの最多安打を逃した2002年・2003年・2005年シーズンはすべてリーグ2位。不振に苦しんだ2011年に初めて9位に終わった)。イチロー フレッシュアイペディアより)

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    イチローから見た城島健司

    強肩で知られ、2006年に行われたメジャーリーガー415人による投票「最も肩が強い外野手」で48%の得票率を占め1位となった。1998年に行われたオールスターゲームの遠投競争では、ナゴヤドームのセンターフェンス手前からバックネット近くの城島健司まで推定130mの遠投を披露している。強肩であることに加えて送球のコントロールも良いため、ブラディミール・ゲレーロの送球が「バズーカ」などと呼ばれていたのに対してイチローの送球は「レーザービーム」と称されている。これは2001年4月11日の対オークランド・アスレチックス戦で、ライト前ヒットで三進を試みた一塁走者のテレンス・ロングを正確かつ力強い送球で三塁に補殺した際、実況アナウンサーであったリック・リズが「イチローからのレーザービーム攻撃だ!」と叫んだことが由縁。この補殺がイチローのメジャー最初の補殺でもあり、正確無比な強肩を相手に強く印象付けるだけでなく、イチロー自身をMLBに認めさせるプレーにもなった。なお、NPBでは「レーザービーム」という表現が定着しているが、MLBにおいては特段そのように呼ばれることはない。インパクトのある送球を全般的に"the Throw" と表現することが多く、この時の送球もそう表現されている。イチロー フレッシュアイペディアより)

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    イチローから見た王貞治

    開幕前の1月17日に発生した阪神淡路大震災において本拠地の神戸市が壊滅的な害を被りイチロー自身も神戸市内にあるオリックスの寮で被災する。この年のオリックスは「がんばろう KOBE」を合言葉にスタートした。イチローは震災からの復興を目指す「神戸のシンボル」的存在として、首位打者・打点王・盗塁王・最多安打・最高出塁率を獲得。「打者五冠王」に輝いた。打点王と盗塁王の同時獲得は日本プロ野球史上初(現在も唯一)のほか、全試合フル出場での首位打者は王貞治(1969年)に次ぐ史上2人目の快挙だった。本塁打はリーグ3位タイの25本で、この年に28本放って本塁打王を獲得した小久保裕紀とは3本差であり、日本プロ野球史上前例のない打撃タイトル独占(六冠王)にあと一歩だった。そのほか、リーグ2位の長打率や当時のパ・リーグ記録となるシーズン18死球、自身初のリーグ最多敬遠に加え、当時の日本プロ野球タイ記録となるシーズン初回表先頭打者本塁打5本を残すと、前年に自らが記録した69試合に迫る歴代2位の67試合連続出塁を記録。2年連続となるシーズンMVP・ベストナイン・ゴールデングラブ賞・正力松太郎賞も受賞。そしてチームは悲願のリーグ優勝を達成した。イチロー フレッシュアイペディアより)

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