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T-72から見たイラク戦争
T-72は、旧共産主義圏にて、1970年代からソ連崩壊の1991年までもっとも多く使われた戦車であり、ワルシャワ条約機構加盟国以外にもフィンランド・イラン・イラク・シリアなどにも輸出され、インドやユーゴスラビアなど他の多くの国でもライセンス生産やコピー品が作られた。当時ワルシャワ条約機構に所属していたポーランドとチェコスロバキアでもライセンス生産されたが、オリジナルより装甲面などで性能が低下した代物だった。例えば、ポーランドで生産されたT-72Gはソ連軍のT-72では複合装甲だった砲塔前半部が410mmの通常装甲となっていた。ソ連でも1990年までに自国製の輸出用モデルが開発され、アラブ諸国を中心に大量輸出した。これもやはり装甲や砲弾の威力などが大幅スペックダウンした、いわゆるモンキーモデルであった。80年代にはイラクに対しチェコやポーランド、ソ連がT-72完成品を輸出。後には、半完成部品をイラクで組上げるノックダウン生産も行われ、自称「国産型」の"Assad Babyl"(バビロンのライオン)と命名された。またイラン・イラク戦争で使用した直輸入T-72の砲身寿命が短く、ソ連からの交換部品の供給も滞ったことから、イラク国内に砲身工場を作ることになり、これがライセンス生産化の始まりであったという。なお、ユーゴスラビア型のM-84はクウェートに輸出され湾岸戦争で対イラク戦に使用され、後にイラク戦争後の新生イラク軍(イラク治安部隊)にも導入されている。(T-72 フレッシュアイペディアより)
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三浦瑠麗から見たイラク戦争
東京大学理科I類ではクラス50人中女子は2人しかいなかったため、男子学生とは話も合わず試験プリントが回ってこないこともあり、自然とキャンパスから足が遠のいていったという。その後、地球環境問題を学ぶために農学部地域環境工学専修を専攻。しかし、想像していた勉強と違っていたため進路を考えるために留年。他学部の授業を受けているうちに船橋洋一ゼミで政治学に関心を持ち、文系に転身して公共政策学教育部専門職学位課程に1期生として入学。その頃に始まったイラク戦争で、アメリカの軍人たちが反対していたことに興味を持ち、博士論文でシビリアンコントロールの研究を始める。(三浦瑠麗 フレッシュアイペディアより)
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2005年イギリス総選挙から見たイラク戦争
前回行われた2001年7月の総選挙以来4年ぶりに行われた選挙で、低失業率や堅調な個人消費で好調な英国経済の中、労働党のブレア首相が5年ある下院議員の任期を一年前倒しする形で下院を解散して行われた。2003年に勃発したイラク戦争への参戦の是非などが主な争点として争われた。選挙の結果、労働党は結党以来初めてとなる3期連続の政権を維持することには成功したが、前回より40議席以上も議席を減らす結果となった。(2005年イギリス総選挙 フレッシュアイペディアより)
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ターハー・ヤースィーン・ラマダーンから見たイラク戦争
ターハー・ヤースィーン・ラマダーン・アッ=ジズラーウィー(طه ياسين رمضان الجزراوي Tāhā Yāsīn Ramadān al-Jizrāwī, 1938年2月22日 - 2007年3月20日)は、イラクの元政治家で、第1副首相(1979年-1991年)、副大統領(1991年-2003年)。日本の報道等では「ラマダン(元)副大統領」と呼ばれることが一般的である。2003年に開始されたイラク戦争により、サッダーム・フセイン政権が崩壊した後に拘束され、シーア派アラブ人市民の虐殺に関与したとして裁判にかけられ、死刑判決を受けて処刑された。(ターハー・ヤースィーン・ラマダーン フレッシュアイペディアより)
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