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ミレトスのヘカタイオスから見た古代エジプト
ところで、同じように散文で歴史を書いたヘロドトスは、古代エジプトのテーベの神殿を訪ねた時、エジプトの祭司たちから、神殿内の広間にあった歴代の祭司長の木像を見せられた。ヘロドトスは、ヘカタイオスが自分の系譜を調べたら16代目で神に辿り着いたと言ったことを思いだし、エジプトの祭司たちにそう話すと、エジプト人たちはそんなことはありえないと否定する。なぜなら自分たちは神から数えて345世代目だからと言う。この話はヘカタイオスの懐疑主義とは関係ないが、ギリシア人の神話化された歴史が、ミケーネ誕生前(紀元前2000年頃)からあった文明の歴史を途方もなく短く縮めていることを示すものである。(ミレトスのヘカタイオス フレッシュアイペディアより)
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トリパラディソスの軍会から見た古代エジプト
実質的な帝国のナンバーワンとなったペルディッカスに対して彼を警戒したアンティパトロス、プトレマイオス、クラテロスらの諸将は対立し、やがて戦争状態に入った。紀元前321年にペルディッカスはプトレマイオスの拠るエジプトに攻め込んだが、その途上部下の将軍達(ペイトン、アンティゲネス、セレウコス)により暗殺された。そして、ペルディッカス死後の帝国の体制を決めるべく同年シリアのトリパラディソスにディアドコイが召集され、会議が開かれた。(トリパラディソスの軍会 フレッシュアイペディアより)
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ユバ1世から見た古代エジプト
紀元前48年8月9日のファルサルスの戦いで元老院派が敗北して、ポンペイウスがエジプトで暗殺された後も元老院派と協力して、北アフリカ・ウティカへ侵攻したカエサル軍へ対抗した。しかし、本国ヌミディアにカエサルと手を結んだマウレタニア王ボックス2世(en)やイタリア人のプブリウス・シッティウス(fr)らによる領国侵犯が相次いだ為、総軍の半数をヌミディアへ送り、もう半分の軍で元老院派に加勢したものの、タプススの戦いで敗北を喫した。再起を図るべく逃亡したがカエサル軍の掃討作戦は厳しく、ザマ近郊でマルクス・ペトレイウスと刺し違えて自殺した。これにより、マシニッサ以来の伝統を有するヌミディア王国は断絶して、ヌミディアはローマ属州となった。(ユバ1世 フレッシュアイペディアより)