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エリモハリアーから見た日本の競馬の競走体系
2003年、3走したあとの8月に岡本裕好名義となる。デビューから8戦目となる未勝利戦で初勝利を挙げ、10月には3歳以上500万円以下のレースも制したが、その後の3走は3着が最高だった。12月より山本敏晴名義となる。(エリモハリアー フレッシュアイペディアより)
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エリモハリアーから見た第27回ジャパンカップ
2007年、10か月ぶりの復帰戦は巴賞となったが最下位の11着と大敗。3連覇を目指して出走した函館記念では7番人気と低評価ながらレースを制し、1年ぶりの勝利により、JRA史上3頭目となる同一平地重賞3連覇を成し遂げた。その後はいったん放牧に出されたが、札幌記念では8着、オールカマーでは後方から追い上げたものの先頭を行く2頭に及ばず3着、続く毎日王冠でも4着に敗れた。その後第1希望で香港カップ、第2希望で香港ヴァーズに予備登録を行い、陣営は出走に意欲を見せていたが選出されず、代わりに第27回ジャパンカップに出走するも12着に敗れた。(エリモハリアー フレッシュアイペディアより)
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エリモハリアーから見た朝日チャレンジカップ
2005年、5連敗を喫したものの、7月に巴賞を制しようやくオープン馬となると、続く函館記念も制し重賞初勝利を挙げる。騎手を務めた北村浩平にとっても重賞初勝利となった。その後は朝日チャレンジカップ、カシオペアステークスで2着になったものの勝利することはなかった。(エリモハリアー フレッシュアイペディアより)
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