-
福嶋久晃から見た広島市民球場 (初代)
9月7日の巨人戦(川崎)で初出場。二軍ではのイースタン・リーグ優勝に貢献したほか、には打率.339でイースタン・リーグ首位打者を獲得。には伊藤勲、大橋勲に次ぐ三番手捕手として一軍に定着。同年は打力を活かし、一塁手、三塁手として15試合に先発出場(捕手としては1試合のみ)。に名前を「久」から「久晃」に変更した。には正捕手の伊藤と併用され62試合に先発マスクを被る。同年は10本塁打を放ち、それ以降6年連続で2桁本塁打をマークする。別当薫が2期目の監督に就任したには伊藤から正捕手の座を奪い、翌にはキャリア唯一の規定打席(36位、打率.249)に達する。同年4月5日の広島戦では横浜スタジアムこけら落としのチーム第1号本塁打を北別府学から放ち、4月5日には開幕戦の巨人戦(横浜)で江川卓からサヨナラヒットを打った。、1977年、にはオールスターゲームに出場。からは辻恭彦・加藤俊夫との併用になったが、からは若菜嘉晴の加入で出場機会が減少し、には一塁での起用が主となる。に広島へ移籍し、開幕戦の阪神戦(広島市民)で山本和行からサヨナラヒットを放つなど右の代打としても活躍したが、同年限りで現役を引退。(福嶋久晃 フレッシュアイペディアより)
-
スポンサーサイト