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  • 桑田真澄

    桑田真澄から見た広島市民球場 (初代)広島市民球場 (初代)

    2006年4月13日、東京ドームでの対広島戦で600日ぶりとなる勝利、通算173勝目を挙げる。しかし、この試合で走塁中に右足首を再び捻挫してしまい、同27日の広島市民球場での対広島戦では3回途中6失点KO。その2日後に登録抹消された。桑田真澄 フレッシュアイペディアより)

  • 山本浩二

    山本浩二から見た広島市民球場 (初代)広島市民球場 (初代)

    1986年、リーグ優勝を花道に、40歳で現役引退した。この年、チームは130試合制の129試合目にリーグ優勝を決め、日本シリーズも第8戦まで行ったため、日本シリーズ第8戦が事実上の引退試合となった。試合には敗れ、西武に優勝を譲ったが、広島ナインから惜別の胴上げを受け広島市民球場は万来の浩二コールに包まれた。翌日の引退会見の際、涙ながらに「山本浩二は幸せな男です」と述べた。山本浩二 フレッシュアイペディアより)

  • 谷沢健一

    谷沢健一から見た広島市民球場 (初代)広島市民球場 (初代)

    その後1981年にはプロ野球タイ記録となる4打席連続本塁打を放ち、1982年の優勝に4番として貢献。1984年には打率.329、本塁打34本、99打点を記録。1985年10月23日に対広島戦(広島市民球場)で2000本安打を達成し名球会入り(後に退会)。1986年シーズンオフ後に39歳で引退。翌年1987年のオープン戦に引退試合を行い本塁打を放った。既に解説者に転進しており選手としての調整ができず、引退試合でも打席に立つ時以外は解説者も務めていた。谷沢健一 フレッシュアイペディアより)

  • 小久保裕紀

    小久保裕紀から見た広島市民球場 (初代)広島市民球場 (初代)

    には二塁手のレギュラーに定着すると全試合出場を達成、28本塁打を放ってパシフィック・リーグ本塁打王に輝いたほか、リーグ1位の9三塁打と長打率.548を記録した。1995年のオールスターゲームにもファン投票トップで初選出され、第2戦目に古溝克之から広島市民球場の右翼へ本塁打を含む3安打を放った。シーズンの打順に関しては、4月は1試合を除く全試合で8番を打っていた。初めて4番を任されたのは、5月26日の対大阪近鉄バファローズ戦である。小久保裕紀 フレッシュアイペディアより)

  • 黒田博樹

    黒田博樹から見た広島市民球場 (初代)広島市民球場 (初代)

    5月31日にFA権を取得。本人は「これを機に他球団の評価も聞いてみたい」と語った。6月まで5勝6敗、防御率、WHIP1.11と安定した投球を続け、オールスターゲーム出場直前の7月2日の中日戦からは負け無しの8連勝を記録。7月は4勝0敗、防御率0.84、WHIP0.78の活躍で月間MVPをチームメイトの栗原健太と共に受賞。更に8月も続けて4勝0敗、防御率1.11、WHIP0.86の活躍で月間MVPを連続受賞。球団史上初の2ヶ月連続月間MVP受賞となった。この時、「広島カープの歴史に名前を残せて嬉しい」と発言した。しかし、9月には右ひじを痛めて長期離脱。10月16日の中日戦で救援で復帰登板、プロ初セーブを記録した。この年、13勝6敗1セーブ、WHIP1.00、防御率1.85で最優秀防御率のタイトルを獲得。1点台でのタイトル獲得はの赤堀元之以来、セ・リーグではの斎藤雅樹以来の快挙となった。また、テンポの良い投球を評価されてスピードアップ賞を受賞。シーズン終盤、FA移籍の情報が各スポーツ紙を賑わせている真っ只中、長いカープの低迷と共にファンの熱も冷めてしまったと評されたファンが動き、完成させたのが広島市民球場外野席に突如現れた巨大横断幕である。それには多くのファンからのメッセージ、そして大きな文字で「我々は共に闘って来た 今までもこれからも… 未来へ輝くその日まで 君が涙を流すなら 君の涙になってやる Carpのエース 黒田博樹」と記されていた。更にシーズン最終登板試合には満員のファンが黒田の背番号15の赤いプラカードを掲げ球場を赤色に染め上げ、後に「あのファンの気持ちは大きかった」と述べた。この一連のエピソードは翌年7月に『誰がために〜黒田博樹物語〜』(漫画:吉原基貴、原案協力・取材:戸塚啓)として漫画化され、ヤングアニマル(白泉社)に掲載された。オフには監督のマーティ・ブラウンの奨めで渡米し右肘関節のクリーニング手術(数か月で投球可能となる軽い手術)を行った。黒田博樹 フレッシュアイペディアより)

  • 谷繁元信

    谷繁元信から見た広島市民球場 (初代)広島市民球場 (初代)

    初四球:1989年4月25日、対広島東洋カープ4回戦(広島市民球場)、9回表に紀藤真琴から谷繁元信 フレッシュアイペディアより)

  • 野球場

    野球場から見た広島市民球場 (初代)広島市民球場 (初代)

    日本では、外野は天然芝(ごく稀に人工芝)、内野は土という球場が圧倒的に多く、かつてはプロ野球球団の本拠地球場もこの形式が多かった。現在でも阪神甲子園球場はこの形式であるが、旧広島市民球場の閉場により、NPBやMLBでは唯一のものとなった。野球場 フレッシュアイペディアより)

  • 山崎武司

    山崎武司から見た広島市民球場 (初代)広島市民球場 (初代)

    の入団直後ロサンゼルス・ドジャース傘下のチームアメリカ・リーキーリーグ・ガルフコースト・ドジャースへ野球留学し、三塁手としてプレーしていたが帰国後捕手に戻る。この年と翌は一軍出場なし。9月7日の対広島東洋カープ19回戦(広島市民球場)において、9回表に代打として一軍初出場。9月10日の対ヤクルトスワローズ19回戦(ナゴヤ球場)9回裏、内藤尚行からプロ初安打となるレフト前ヒットを放つ。10月15日の対広島26回戦(広島)で捕手として先発出場するが、盗塁王を狙う正田耕三に5盗塁を許す。正田はこの試合さらに中村武志から1つ盗塁を決めて1試合6盗塁のプロ野球タイ記録を樹立。この試合をきっかけとして、外野手に転向する。この年と翌、二軍でウエスタン・リーグの本塁打王と打点王を獲得する。12月19日、実家近くで火事の現場に遭遇した際知人らと協力して子ども(乳幼児含めた5人)を助け出し、地元消防署から表彰され、セ・リーグからも特別表彰を受けた。山崎武司 フレッシュアイペディアより)

  • ブライアン・シコースキー

    ブライアン・シコースキーから見た広島市民球場 (初代)広島市民球場 (初代)

    に巨人と契約して、同年7月度のJA全農Go・Go賞(救援賞)を初めて獲得。右のセットアッパーとして活躍し、在籍した2年間は共にチーム最多登板を果たした。防御率も2点台に向上して信頼度も上げ、堀内恒夫時代の手薄な巨人のブルペンを岡島秀樹らと共に支えた。また、2005年9月3日の対広島東洋カープ戦(広島市民球場)では7回表に長谷川昌幸から2点タイムリー二塁打を放ち、来日5年目で初安打も記録した。しかし、シーズン終了後、原辰徳が監督に就任すると戦力外通告を受け、本人が日本でのプレー続行を希望したため球団がウェーバー申請を行った。ブライアン・シコースキー フレッシュアイペディアより)

  • 星野仙一

    星野仙一から見た広島市民球場 (初代)広島市民球場 (初代)

    は新人の福留孝介を積極的にスタメンに起用し、また福留も2割8分4厘、16本塁打とこれによく応え、新人としては上々の成績を収めリーグ優勝に貢献した。しかし三振数リーグ1位を記録するなど粗さも目立ち、加えて守備には難があった。9月4日の広島市民球場での広島戦、0-0で迎えた9回裏二死一・二塁の場面には左翼手の守備に就いていたがフライ性の打球を落球。ランナーを返しサヨナラ試合にした。この試合を始め、ペナントレースや日本シリーズでも敗因に繋がるミスが続出し、試合終盤は交代させられた。その後、福留はゴールデングラブ賞を4回受賞する球界屈指の外野手に成長した。星野仙一 フレッシュアイペディアより)

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