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  • 広島市民球場 (初代)

    広島市民球場 (初代)から見た前田智徳

    山本浩二の現役時は、当初は他に同じ山本姓の山本一義が在籍していたために場内アナウンスではフルネームで呼んでいた。一義が引退してコーチに就任し、山本姓が浩二一人になった時期もあったが、その多大な貢献を称えるために「山本浩二」とコールしていた。逆に前田智徳は同姓の前田健太の加入後も「前田」とアナウンスされた。これはスコアボードや、新聞などのメディアにおける表記も同じであった。広島市民球場 (初代) フレッシュアイペディアより)

  • 広島市民球場 (初代)

    広島市民球場 (初代)から見た秋葉忠利

    2011年4月14日、秋葉忠利に代わり広島市長となった松井一實は、旧広島市民球場跡地の利用計画を見直すことを表明。球場は予定通り解体する一方で、折り鶴展示施設等が含まれていた従来の利用計画は白紙撤回とすることを発表した。広島市民球場 (初代) フレッシュアイペディアより)

  • 広島市民球場 (初代)

    広島市民球場 (初代)から見たグレッグ・ラロッカ

    1994年のアジア競技大会開催に合わせて1992年オフに総工費約50億円を掛けて改修を行い、1993年からスコアボードは中堅バックスクリーン上に移設され電光式となり、松下電器産業製の大型映像装置「アストロビジョン」も一体化して設置された。しかし旧来の放電管方式だったため保守部品の消耗が早く、設置から10年を経過してそれらの入れ替えもままならなくなった。例えば2004年、グレッグ・ラロッカが打撃練習した際、メンバー表の表示画面にボールが直撃、3週間以上そこの部分だけ何も表示されず、例として緒方の表示が「緒_」、または木村拓が「木村_」となっていた(“_”は空白)。2005年にLED式に改装され、ポジションの数字が大きくなり、ネーム部分は幅がやや狭くなった。表示部は1993年以来の配置を踏襲し、横スクロールで左翼側に映像装置、右翼側に得点(10回まで)と出場メンバー表示が出来るようになっている。また打者はもちろん、塁に出た走者に対しても白地の文字が黄緑色で表示されるという他球場にはない特徴も、パネル式時代の表示方式を踏襲し続けている。スコアボードの得点表示部は、電光化当初は「青地に白文字」で表示していたが、放電管の消耗が著しくなった2000年頃から「黒地に白文字」に設定を変更して点灯部を減らし、放電管の負荷を軽減させていた。LED式に改装後は以前と同様「青地に白文字」に設定を戻している。広島市民球場 (初代) フレッシュアイペディアより)

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    広島市民球場 (初代)から見た達川光男

    2010年8月31日、広島修道大学のスポーツサークルが企画したラストゲームが行われた。試合前には最後のスタジアムツアーなどが開催された。ラストゲームには、プロ野球広島カープのOB選手の池谷公二郎・達川光男・長谷部稔・安仁屋宗八・高橋里志などが招待された。試合中に、達川の「コンタクトレンズ紛失事件」などが再現された。試合は15時13分にゲームセットになった。試合終了後にOB会会長長谷部稔による「終球式」が行われた。17時過ぎに木製の「旧広島市民球場」の看板が外された。広島市民球場 (初代) フレッシュアイペディアより)

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    広島市民球場 (初代)から見たさだまさし

    2007年8月9日には、球場開設50周年記念として、前年の2006年を以って終了したさだまさしによる平和祈念コンサート『夏 長崎から さだまさし』の広島版『広島市民球場開設50周年記念「2007 夏 広島から さだまさし」』が開催された。この日さだは本球場の50周年にちなんで背番号50の広島カープのユニフォームで登場、郷里で同じ被爆地・長崎からの想いを込めて「やっと来たぞ!」と叫び、喝采を浴びる。さだは奥田と違い通常のバンド構成でコンサートを行ったが、翌日球場長へ挨拶に行ったところ、平和祈念コンサートだったということもあってか「音の苦情は一件もありませんでした」と言われたという。この模様はNHK広島放送局制作で中国地方向けに、またBS-2で全国放送された。広島市民球場 (初代) フレッシュアイペディアより)

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    広島市民球場 (初代)から見た古田敦也

    2007年9月27日の対ヤクルトスワローズ戦では、この年を最後に引退する古田敦也選手兼任監督が代打で登場。両軍のファンからエールを送られ、広島の応援団は古田の応援歌をトランペットで演奏、広島ファンは恒例のスクワット応援を行った。試合終了後、敵地では異例のお別れセレモニーも執り行われ、広島のマーティ・ブラウン監督から花束が贈呈された。セレモニー終了後には東京音頭が流れる中で古田がグランドを一周し、サインボールを36球投げ入れ、両軍のファンが古田の引退を惜しんだ。広島市民球場 (初代) フレッシュアイペディアより)

  • 広島市民球場 (初代)

    広島市民球場 (初代)から見た桑田真澄

    1990年5月12日の対巨人戦の試合途中、バックネットに黄色い忍者装束の男がよじ登り、グラウンドに向けて『巨人ハ永遠ニ不ケツデス!』『ファンヲアザムクナ!』『天誅!悪ハ必ヅ滅ビル!』と書かれた巨人を揶揄する垂れ幕をぶら下げ、更にはグラウンドに向かって発炎筒を投げつけ、巨人ベンチに向かって手裏剣を投げるという椿事が起きた。試合は中断し、男は広島中央署員に威力業務妨害で現行犯逮捕され、10分後に試合は再開した。調べに対して男は『桑田問題など最近の巨人は許せない』などと供述していた。男は当時39歳東広島市在住で、職業は農業だった。広島市民球場 (初代) フレッシュアイペディアより)

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    広島市民球場 (初代)から見た山本浩二

    山本浩二の現役時は、当初は他に同じ山本姓の山本一義が在籍していたために場内アナウンスではフルネームで呼んでいた。一義が引退してコーチに就任し、山本姓が浩二一人になった時期もあったが、その多大な貢献を称えるために「山本浩二」とコールしていた。逆に前田智徳は同姓の前田健太の加入後も「前田」とアナウンスされた。これはスコアボードや、新聞などのメディアにおける表記も同じであった。広島市民球場 (初代) フレッシュアイペディアより)

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    広島市民球場 (初代)から見た古葉竹識

    当日は雪の舞う中、カープ創成期を支えた初代「ゴジラ」藤井弘から、2年前まで現役で市民球場のグランドで活躍した佐々岡真司など総勢56名のカープOBが古葉竹識監督率いる「チーム・カープ」、阿南準郎監督率いる「チーム・広島」に分かれ紅白戦が行なわれ、2万8千人の観衆が市民球場との別れを惜しんだ。広島市民球場 (初代) フレッシュアイペディアより)

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    広島市民球場 (初代)から見た湯崎英彦

    同年7月、広島県知事湯崎英彦・広島市長松井・広島商工会議所会頭深山英樹が会談し、市民球場跡地にサッカースタジアムを建設することは多機能化・複合開発、スタジアムの規模に課題が大きいとし、広島みなと公園に新スタジアム建設に優位であることで一致した。しかし、サンフレッチェ側はこれに反発し、代表取締役会長の久保允誉は球場跡地に「Hiroshima Peace Memorial Stadium」を建設する方が優位であると主張した。広島市民球場 (初代) フレッシュアイペディアより)

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