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武庫川女子大学短期大学部から見たキユーピー
食生活学科:伊藤ハム・カバヤ食品・キユーピー・アサヒビール・白鶴酒造・ハウス食品・阪食・森永乳業・UFJ信託銀行・三菱UFJニコスほか(武庫川女子大学短期大学部 フレッシュアイペディアより)
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J-WAVE HOLIDAY SPECIALから見たキユーピー
5月3日 KEWPIE HALF presents YOUR ESSENTIAL LIFE (9:00-17:55)(J-WAVE HOLIDAY SPECIAL フレッシュアイペディアより)
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蟹江一忠から見たキユーピー
明治期にトマト栽培とその加工技術で名を挙げたカゴメ創業者の蟹江一太郎は、その後もトマトケチャップ、ウスターソース、トマトジュース等を相次いで開発販売し、カゴメを日本有数の食品メーカーに育て上げていった。そのような確固たる基盤の上で経営者になった一忠は、その後も順調に業績を伸ばしていったが、1970年代後半に勃発した「赤いジュース戦争」に巻き込まれることになった。それまでのトマトジュース販売シェアは、カゴメとデルモンテ(キッコーマン)の2社寡占状態であったが、この時期になってキユーピー、全農、日本コカコーラ、キリン、明治乳業などの飲料・食品大手が相次いでトマトジュース販売に参戦。販売競争が激化し、カゴメは1978年を境に大きく業績を下げることになった。(蟹江一忠 フレッシュアイペディアより)
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マヨネーズから見たキユーピー・アヲハタグループ
1923年(大正12年)の関東大震災からの復興後における生活の洋風化の中で発売したものの、当初はマヨネーズの馴染みのなさや価格の高さから売れ行きは芳しくなく、ポマードと間違えられることもあったという。当時の日本にはまだ野菜を生で食べる習慣はなかった。キユーピー・アヲハタグループは缶詰メーカーでもあったので、カニやホタテ の缶詰につけて食べる試食販売を行って味を知ってもらおうとした。さらに、当時は卵自体が高級品であり、マヨネーズの価格も高く、128g入りが50銭、現在(2016年)の貨幣価値に換算して約1700円という、高級デパートでしか手に入らない高嶺の花だった。初年度の売り上げはわずか600kgだったという。それでも当時から積極的な広告宣伝を展開したこともあって認知度は高まり、売り上げを伸ばしていく。1941年の年間出荷量は500トン近くまで達した。ただしこの年に太平洋戦争がぼっ発。原材料が入手困難となり製造を中止し、再開は終戦から3年後の1948年のことだった。(マヨネーズ フレッシュアイペディアより)