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コートジボワールから見た憲法
1999年12月24日、現職に不満を持った軍のロベール・ゲイ元参謀長らがクーデターを強行し、翌日には軍事政権「国家国民救済委員会」を設置、2000年1月にゲイが第3代大統領に就任した。5月にゲイ大統領は民政復帰に向け、新憲法制定のための国民投票や大統領選、議会選を順次実施する方針を発表した。7月に新憲法草案が国民投票で承認され、10月22日には大統領選も実施されたが、軍事政権は集計作業を中断させてゲイ大統領の当選を一方的に発表した。しかし、市民らの抗議行動でゲイは逃亡し、10月26日にはFPIのローラン・バグボが第4代大統領に就任した。バグボ大統領は27日にFPI選挙対策幹部のンゲサン・アフィ(en)を首相に指名、挙国一致内閣が成立したが、共和連合(RDR)は新政府に参加しなかった。(コートジボワール フレッシュアイペディアより)
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コートジボワールから見たバングラデシュ
2006年1月、国際連合コートジボワール活動(UNOCI)やアフリカ連合(AU)傘下の作業グループが、国民議会の任期延長認めないと発表したとして、「ジュンヌ・パトリオット」たちがアビジャン市内の道路を封鎖した。また、国内のフランス軍とPKOに従事する各国軍(バングラデシュ、モロッコ、セネガルなど)の基地、フランス大使館、国営テレビ前で抗議活動が行われた。西部に駐留するバングラデシュ軍はそれらに発砲して4名が死亡した。結局、ナイジェリアのオルシェグン・オバサンジョ大統領が、作業グループにはそのような権限はないと認めて、騒動に終止符を打った。しかし7月19日、シャルル・コナン・バニー首相の推し進めている、選挙実施のための身分証明書の発行方法に不満を持つ「ジュンヌ・パトリオット」が、アビジャン市内の主要な道路にバリケードを築いて、交通を遮断するなど、騒動が再燃した。(コートジボワール フレッシュアイペディアより)
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コートジボワールから見た停戦協定
29日には西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)がガーナのアクラで緊急首脳会議を開き、政府軍と反乱軍の仲裁に乗り出すことを決めた。バグボ大統領は10月12日にクアシ国防相を解任し、自ら国防相を兼任すると発表。対する反乱軍は17日にブアケでセネガルなどの調停に応じて停戦協定に調印、政府側も停戦に応じた。ECOWASは26日に停戦監視のため西アフリカ諸国平和維持軍(ECOMOG)を派遣することで合意し、11月には政府と反乱軍がトーゴのロメで和平交渉を開始した。11月28日に西部のマン周辺で(MJP)や(MPIGO)を名乗る反政府勢力が政府軍と交戦、29〜30日にかけてはフランス軍とも衝突して、反政府勢力の約10人が死亡し、フランス軍も兵士1人が負傷する事件が発生したが、2003年1月にパリ郊外で開かれた和平会議で3つの反政府勢力、野党の各代表が暫定政府発足と内戦終結の和平案に合意し、7月には双方が「停戦」を宣言した。(コートジボワール フレッシュアイペディアより)