-
フランキー・デラクルーズから見たジェイミー・デントナ
12月14日、NPBの東京ヤクルトスワローズに入団することが発表された。推定年俸は1,500万円。なお、この時、ハイチ地震の影響でアメリカでのビザの発給が遅れ、ヤクルトの春季キャンプに6日ほど遅れてしまうという出来事があった。同年は9試合に登板し0勝0敗、防御率7.84という成績だったが、年齢が若く伸びしろが期待できることから残留の可能性もあった。しかし、ヤクルトがクローザー林昌勇の引き留めに高額の費用を投じたこともあり、割を食う形で11月30日にトニー・バーネット、ジェイミー・デントナ、李恵践らとともに自由契約となり、退団した(バーネットは後に再契約)。(フランキー・デラクルーズ フレッシュアイペディアより)
-
東京ヤクルトスワローズから見たジェイミー・デントナ
横浜からFA権を行使した相川亮二を獲得し、球団初のFA獲得選手となった。長打補強のためジェイミー・デントナを獲得した。このシーズンは序盤から2位をキープして前半戦で貯金を最大14まで伸ばしたが、後半戦に入った途端に急失速、8月には1971年8月以来となる月間18敗(7勝)、9月にも1992年以来の9連敗を喫し、さらにはチームを支えてきた田中浩康や飯原、宮本、川島慶三といった主力が怪我で離脱、宮本が強行出場するなど厳しい状態が続き、一時は阪神や広島に抜かれ5位に転落した。しかし、高木啓充や鬼崎裕司の登場で息を吹き返し、10月9日の対阪神戦との直接対決に勝利して3位が確定し、3年ぶりのAクラス入りで初のクライマックス・シリーズ進出を決めたが、結果的に後半戦の大失速が響いて初の勝率5割未満のCS出場チームとなっている。(東京ヤクルトスワローズ フレッシュアイペディアより)
-
佐々木昌信から見たジェイミー・デントナ
2009年10月11日、神宮球場で行われた東京ヤクルトスワローズ対中日ドラゴンズで三塁塁審を務めた佐々木は、3-2と中日が1点リードしている7回裏一死一塁の場面で、ジェイミー・デントナが放ったレフトポール際への大飛球をホームランと判定し、4-3とヤクルトが逆転に成功した。しかし、中日の監督の落合博満がスコアボードで流れたVTRをみて「ファウルだ」と17分間にわたって猛抗議を行った。審判団が協議をしたが、判定はホームランのまま覆ることはなかった。落合は5分以上の抗議をし、選手を引き揚げさせるなどしたため、遅延行為を理由に退場処分を受け、試合もそのままヤクルトが勝った。(佐々木昌信 フレッシュアイペディアより)
-
オールスター・フューチャーズゲームから見たジェイミー・デントナ
Jamie D'Antona(ジェイミー・デントナ), IF (U.S.), 2008(オールスター・フューチャーズゲーム フレッシュアイペディアより)