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世界一周から見たオホーツク
世界一周を行なった最初の日本人は、仙台の舟子である津太夫(延享元年(1744年) - 文化11年(1814年)7月29日)、儀兵衛(平)、太十郎、および左平の4人であるとされることがある。寛政5年(1793年)11月21日、仙台の舟子津太夫ら16人は江戸に運送する糧を若宮丸に載せ石巻港を出発したが暴風に遭って漂流し、翌年6月上旬、アリューシャン列島に漂着。10ヶ月余の滞在の後、翌年4月上旬出発、6月にオホーツクに上陸した。8月から翌年夏までの間に、一行は3度に分かれてシベリア奥地に入り、イルクーツクで合流、同地の官吏の保護を受けつつ寛政8年(1796年)から享和2年(1802年)まで滞在した。皇帝から上京の命を受け、3月に出発、シベリアを横断して4月にペテルブルクに入ったが、その時3人は既に病死し、3人は途中の街で落伍した。(世界一周 フレッシュアイペディアより)
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世界一周から見た大阪
トーマス・クックは1872年に世界初の世界一周団体旅行を敢行した。9月26日に8人の団体客でリバプールから船でニューヨークへ行き、鉄道でサンフランシスコへ、船で横浜へ、東京周辺を観光したのち、船で大阪、長崎、上海、シンガポール、マドラス、カルカッタまで行き、鉄道旅行ののちボンベイから船で、紅海、スエズ運河、地中海を通って、鉄道でリバプールへ戻った。222日間の旅行だった。この間にジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』が出版されたこともあり、世界一周旅行熱が加速し、ネリー・ブライ、エリザベス・ビスランド、ジョージ・フランシス・トレイン、ジョージ・グリフィスら、時間を競う世界一周旅行者も現れるようになった。(世界一周 フレッシュアイペディアより)
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世界一周から見た伊達家
一行は客人として歓待され、皇帝に謁見を許された。5人を残して、津太夫、儀兵衛、太十郎および左平の4人と使節ニコライ・レザノフの通訳に任命された善六はナデジュダ号に乗船し、6月バルト海から大西洋に出た。カナリア諸島を経てブラジルに立ち寄り、翌文化元年(1804年)に太平洋に入り、マルキーズ諸島、ハワイ諸島を経てカムチャツカに到着。善六はここで下船したが、ナデジュダ号は同年秋に南航して9月に長崎に到着した。使節の目的である通商条約の締結には至らなかったが、4人は長崎鎮台に引き取られ、さらに伊達家に引き渡され、文化2年(1805年)12月末、江戸芝の伊達屋敷にはいった。ここで取り調べを再び受けた後、翌年に帰郷した。厳密には、日本に戻らなかった善六を含めた5人であるともいえる。(世界一周 フレッシュアイペディアより)