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トレイボン・ブロメルから見たジャスティン・ガトリン
同年6月25日の全米選手権男子100m予選で世界歴代10位タイおよびアメリカ歴代4位(ともに当時)の記録となる9秒84(+1.3)をマーク。翌日の準決勝は追い風参考記録ながら9秒76 (+3.7)の好タイムで突破すると、迎えた決勝は9秒96(0.0)で2位に入り、初のシニアアメリカ代表の座を掴んだ。シニア世界大会デビューとなった8月の北京世界選手権は、男子100m予選を全体2位の9秒91(+0.5)で突破した。しかし、マイケル・フォードコーチ曰く「異常なくらい緊張していた」という準決勝は9秒99(-0.4)と予選よりタイムを落としたが、かろうじてタイムで拾われる全体7位タイ(3人が並ぶ)で決勝に進出した。緊張も収まった約2時間後の決勝では、ウサイン・ボルト(9秒79)、ジャスティン・ガトリン(9秒80)に続き、アンドレ・ドグラスとともにフィニッシュラインを越えた。レース直後の電光掲示板にはアンドレ・ドグラスの名前が3位に表示されたが、やがてブロメルの名前も3位に表示され、アンドレ・ドグラスと9秒92(-0.5)の同着3位で銅メダルを獲得した。1走を務めた男子4×100mリレーは37秒91で予選突破に貢献するも、決勝は3-4走間でオーバーゾーンがあったため失格となった(当初は2位でフィニッシュ)。(トレイボン・ブロメル フレッシュアイペディアより)
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トラビス・パジェットから見たジャスティン・ガトリン
6月の全米選手権男子100mで4大会連続の決勝に進出するも、決勝は棄権した。しかし、大邱世界選手権男子4×100mリレーのアメリカ代表に選出されると、9月の大会では予選で4走(1走トレル・キモンズ、2走ジャスティン・ガトリン、3走)を務め、今季世界最高記録の37秒79で決勝進出に貢献した。パジェットは予選だけの出場に終わり、決勝のアメリカは3走と4走の間でバトンが渡らず途中棄権に終わった。(トラビス・パジェット フレッシュアイペディアより)
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2016年リオデジャネイロオリンピックの陸上競技・男子4×100mリレーから見たジャスティン・ガトリン
ジャマイカ、日本、アメリカの3チームは表彰式に臨むため女子5000mの表彰式の終了を待っていたが、アメリカは競技場のスコアボードに「DQ」(失格)の文字を発見した。第1走者から第2走者へのバトンパスの際に、第2走者のジャスティン・ガトリンが出遅れたことでロジャースとの距離が接近しすぎてしまい、テイクオーバーゾーンに入る前にガトリンの手にバトンが触れてしまったことが、失格の理由であった。この結果、4位でゴールしたカナダが繰り上げで銅メダルを獲得した。ジャマイカ、日本、カナダの3チームには、ウクライナの国際オリンピック委員会委員のワレリー・ボルゾフとIAAFの評議員のDu Zhaocaiからメダルが授与された。なおこの決勝ではアメリカだけでなく、トリニダード・トバゴも失格となっている。(2016年リオデジャネイロオリンピックの陸上競技・男子4×100mリレー フレッシュアイペディアより)
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マイケル・フレイターから見たジャスティン・ガトリン
世界陸上ヘルシンキ大会では男子100mにおいてアメリカ合衆国のジャスティン・ガトリンの次につけて銀メダルを獲得。2007年の世界陸上大阪大会では出場権を獲得出来ず、出場出来なかったが翌年のオリンピックでは出場権を獲得し順当に勝ち上がり自己ベストを更新して同国で100mの世界歴代2位の記録を持つアサファ・パウエルに続き6位入賞を果たした。4×100mリレーではネスタ・カーター、ウサイン・ボルト、アサファ・パウエルと走り決勝では37秒10の世界新記録(当時)で優勝した。但し予選ではウサイン・ボルトの代わりにドワイト・トーマスが走っている。(マイケル・フレイター フレッシュアイペディアより)
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コビー・ミラーから見たジャスティン・ガトリン
7月の全米選手権(オリンピックトライアル)男子100m決勝で9秒99(0.0)をマークして4位に入り、アテネオリンピック男子4×100mリレーのアメリカ代表の座を掴んだ。しかし、4年前の大会で3位になった男子200mは予選で敗退した。8月のアテネオリンピック男子4×100mリレーでは予選と決勝においてアメリカ合衆国チームの3走を務めた。ショーン・クロフォード、ジャスティン・ガトリン、ミラー、モーリス・グリーンのオーダーで臨んだ決勝は、イギリス(38秒07)と0秒01差の2位で惜しくも金メダルは逃したが、銀メダル獲得に貢献した。(コビー・ミラー フレッシュアイペディアより)