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黒崎久志から見たセルジオ越後
宇都宮学園高等学校(現:文星芸大付高)時代から将来を嘱望され、辛口評論家として知られるセルジオ越後からも「将来日本代表入りする選手」と太鼓判を押されていた。全国高等学校サッカー選手権大会にも2度出場し、2年生だった1986年1月の第64回大会では1学年先輩の小泉淳嗣とともに準々決勝で3連覇を目指していた帝京高校を下してベスト4に進出し(準決勝で江尻篤彦や真田雅則のいた清水商に敗退)、黒崎は5得点で大会得点王となった。3年生だった翌1987年1月の第65回大会では1学年下にDF根岸誠一がいて、室蘭大谷高校との準々決勝ではPK戦の途中でテレビ中継が終わっても、なかなか結果がテロップで流れなかったPK戦史上に残る激闘の末、14-15で敗れた。高校時代のクラスメートの話によると、クロは授業中ほとんど昼寝をしていたにもかかわらず成績は良かったとのこと。(黒崎久志 フレッシュアイペディアより)
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広島大河フットボールクラブから見たセルジオ越後
大河フットボールクラブが主催する「リベリーノカップ」は、セルジオ越後の友人である元ブラジル代表のリベリーノが、日本の少年たちにプレゼントしたプレートに由来する。(広島大河フットボールクラブ フレッシュアイペディアより)
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