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三号爆弾から見たタコ
この爆弾は、一つの親爆弾の内部に多数の弾子と呼ばれる子爆弾を内蔵しており、弾底に炸薬と遅延信管を装着していた。投下すると所定の秒時後に信管が作動、爆弾内部の炸薬が爆発して弾子を射出する。弾子の速度は150m/sから300m/sに達した。散開角度は100度から60度の円錐状である。この角度のことを日本海軍では束藁角と称した。投下後、弾子は数十秒燃焼しつつ飛散し、対象に命中すると焼夷効果を発揮する。主剤には多硫化合成ゴムを混合したテルミット、または黄燐を用いた。子爆弾が燃えながら飛散する時、放射状に白煙を曳く様を見て、戦闘機搭乗員は「タコ」「タコ爆弾」と呼称した。(三号爆弾 フレッシュアイペディアより)
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三崎村 (愛媛県)から見たタコ
正野・串・与侈などの集落では漁業が発達した。鰯、鰤のほか、磯に恵まれておりアワビ、サザエ、テングサなどの海藻類など。漁船によるもののほか、特に海士による素もぐり漁に特徴がある。漁法の特徴からみて沖縄や五島列島から伝わったものとの説もある。宇和島藩伊達秀宗が建立した野坂大権現の棟札には大蛸が抱えていた光る珠を海士が引き上げ祭ったという言われもあり、17世紀頃には既に海士漁が成立していたことを示すものとされる。1881年(明治14年)には串浦の岡崎孫太郎ら10数名が初めて朝鮮半島沿岸でアワビ取りに従事した。大正年間にピークを迎え、当時はほとんどの海士が海外出漁の経験があったとの記録がある。(三崎村 (愛媛県) フレッシュアイペディアより)
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