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ティム・ダンカンから見たダラス・マーベリックス
翌2000-01シーズンに怪我から回復したダンカンは平均22.2得点12.4リバウンド、オールNBA、ディフェンシブ両チームで1stチーム入りするという例年通りの成績を残し、スパーズもデレック・アンダーソン、アントニオ・ダニエルズといった若い血をチームに注ぎ、前年を上回る58勝24敗を記録。プレーオフでは1回戦でティンバーウルブズを3勝1敗で、カンファレンス準決勝では後にダンカンとスパーズの強力なライバルとなるダーク・ノヴィツキー擁するダラス・マーベリックスとの初対決を4勝1敗で制し、ここまで順調に勝ち上がったが、カンファレンス決勝で前年チャンピオンのロサンゼルス・レイカーズが立ちはだかる。シャキール・オニールにコービー・ブライアントという強力なデュオに率いられ、当時黄金期を迎えていたレイカーズにスパーズは全く歯が立たず、屈辱の4戦全敗を喫した。ダンカンはシリーズ第2戦で40得点をあげるなど奮戦したが、第3戦では9得点、第4戦では15得点に終わるなど不甲斐ない場面も見られ、スポーツ・イラストレイテッド誌はこのシリーズのスパーズを哀れみをもって「無慈悲で不公平な組み合わせ」と評し、またダンカンを「スパーズが最も必要とする時に消えてしまう」と酷評した。(ティム・ダンカン フレッシュアイペディアより)
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ニック・バン・エクセルから見たダラス・マーベリックス
NBAのロサンゼルス・レイカーズ、デンバー・ナゲッツ、ダラス・マーベリックス、ゴールデンステート・ウォリアーズ、ポートランド・トレイルブレイザーズ、サンアントニオ・スパーズで通算13年間プレイした。(ニック・バン・エクセル フレッシュアイペディアより)
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コービー・ブライアントから見たダラス・マーベリックス
ルーキーイヤーとなった1996-1997シーズンはシューティングガードの他にスモールフォワード、ポイントガードもこなしたが出場時間は約15分とまだ少なく、このシーズンは平均7.6得点の成績に終わった。それでも随所で才能の片鱗は見せており、1月28日のダラス・マーベリックス戦では故障者が続出したことも手伝って初めて先発に抜擢され、18歳と158日で当時のNBA先発出場最年少記録を塗り替えた。またオールスター・ウィーク・エンドではスラムダンクコンテストに出場し、レッグスルーダンクを決めコチラも見事にNBA史上最年少での優勝を果たした。その他、ルーキーチャンレジでも当時の歴代最多得点となる31得点をあげている。(コービー・ブライアント フレッシュアイペディアより)
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