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テリー伊藤から見たプロ野球ドラフト会議
北海道日本ハムファイターズが東海大・菅野智之の強行指名に踏み切ったことに対して、日本ハム側はドラフトのルールに従って指名したにもかかわらず、本人が連載するコラムにて「ドラフト会議から1週間以上経ったけど、まだ私の怒りは治まらない」などと怒りを露わにした。他にも「当日になっていきなり指名するのは、嫌がらせみたいなもの。」「(日本のドラフトは)ルールよりもまず、礼節を弁え仁義を最優先すべきだ」などの精神的な持論を展開。プロ野球ドラフト会議でのプロ野球界発展のための戦力均衡を優先させる目的による心理戦を無視するような記載も記載した。コラムの最後には「今は日本ハムの商品は食べないようにしている」と記載した。(テリー伊藤 フレッシュアイペディアより)
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テリー伊藤から見た洗濯
5人兄弟の末っ子。自身の本籍地は父の出身地である千葉県山武郡横芝光町であり、テリー自身も横芝光町に寿陵(生前墓)を購入している。父の武太郎は彼の父(テリーの祖父)が結婚前に付き合っていた女性との間の子供で、長らく九十九里町の親戚に預けられていたが、その彼の父が食堂から転身して興した玉子焼き店を継がせるべく呼び戻された。母親の鳥海(旧姓)なみ子は房総半島の先端にある白間津(現在の南房総市内)で海女の母とカジキの突きん棒漁の船主の父の子供として富貴な子供時代を過ごしていたが、鳥海家所有の船団が北海道の浦河町沖で台風に遭い船を失って没落。程なく父も亡くしたため、東京に仕事に出た先で火事に遭い、そこで出会った武太郎に数日後に自転車に轢かれてしまい(武太郎の故意である)、それが馴れ初めで結婚。武太郎の父から結婚を反対された為、当初は鳥海家に駆け落ちしており、家業を続ける為に武太郎の父が仕方なく夫婦を呼び戻した経緯がある。戦後しばらくはGHQが築地を洗濯などの工場街にしていた事もあって武太郎は工場勤めをしていたが、なみ子の「将来は寿司がたくさん売れる」という強い意見から玉子焼き屋を再開し今に至っている。(テリー伊藤 フレッシュアイペディアより)