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シチューから見たトマト
日本へのシチューの伝来がいつかについて明確な記述はないが、すでに1871年(明治4年)、東京の洋食店「南海亭」のちらしに、「シチウ(牛・鶏うまに)」との品書きが見出されている。また1872年の仮名垣魯文『西洋料理通』においても、牛肉や豚肉、トマトなどを用いたシチューが紹介されている。明治中頃までにビーフシチューはレストランのメニューに普及、1904年(明治37年)には旧帝国海軍軍艦の昼・夕食として、「煮込み」の名でシチューやカレーが供されている。これはイギリス海軍との交流に端を発するとされている。明治末期にはシチューのレシピが上流階級向けの婦人雑誌に掲載されるようになった。しかし、本格的にシチューが全国に浸透したのは、太平洋戦争終結以後のことである。(シチュー フレッシュアイペディアより)
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農業の歴史から見たトマト
アメリカ大陸では紀元前5200年ごろ、トウモロコシ、キャッサバ、クズウコンが農作物として栽培されるようになった。アメリカ大陸発祥の農作物としては他にジャガイモ、トマト、トウガラシ属、いくつかの豆類、タバコなどがある。南アメリカではアンデス山脈沿いの険しい斜面に段々畑が発達した。メソアメリカでは6000年以上前に野生のテオシントに人間が手を加えて現代のトウモロコシの原種を作った。それが徐々に北アメリカに広まっていき、ヨーロッパの人々が新大陸に到達したころにはアメリカ先住民の主食になっていた。メソアメリカ原産の作物としては他に数百種類のカボチャ類や豆類がある。カカオを作物としたのもメソアメリカである。食用に供される鳥であるシチメンチョウ属もメキシコからアメリカ南西部で家畜化された。南アメリカのアンデス山脈地域が発祥の重要な作物としてジャガイモがあり、5000年前ごろのこととされている。南アメリカでは様々な豆類も作物とされたが、リャマ、アルパカ、モルモットといった動物も家畜化された。アンデス地域発祥の作物としてはコカもあり、今も主要作物として栽培されている。(農業の歴史 フレッシュアイペディアより)
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素麺から見たトマト
冷やしそうめんは日本の夏季の麺料理の代表格であり、夏季には各醤油メーカーや食品メーカーから、「そうめんつゆ」と呼ばれる調味済みのめんつゆが販売される。そうめんつゆは醤油、出汁、みりんあるいは砂糖などからなる甘辛いもので、食べる前日に作るのがよいとされる。また、そばつゆよりは砂糖やみりんが多く添加され、甘味が勝るものが多い。出汁の材料は地域によってさまざまだが、鰹節、干しエビ、干し椎茸などが一般的である。ごまだれをめんつゆに入れたりつけ汁として用いる場合もある。付け合わせに煮込んだシイタケ、茄子、錦糸卵、トマト、蒲鉾、海老、缶詰のみかん等がつく場合もある。関西地方では冷やし中華(冷麺)のようにハム、キュウリなども添えるのが一般的。薬味としては、刻み葱、おろし生姜、胡麻、ミョウガ、山椒、海苔、鰹節、大葉、おろし山葵などが用いられる。(素麺 フレッシュアイペディアより)