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藤岡裕大から見たトヨタ自動車硬式野球部
トヨタ自動車入社後、1年目は出場機会を増やすために外野手に挑戦した。第87回都市対抗野球大会では1番ライトを任され、初戦の七十七銀行戦では5打数4安打の活躍を見せるなど、全国制覇に貢献。若獅子賞に輝き、大会の優秀選手に選ばれた。2年目は源田壮亮が抜けた穴を埋めるためにショートに転向し、第88回都市対抗野球大会では初戦の九州三菱自動車戦で延長12回、1アウト満塁から始まるタイブレークで谷川昌希からサヨナラ満塁ホームランを放った。秋には第28回BFAアジア選手権の社会人日本代表に選ばれた。第43回社会人野球日本選手権大会では全試合3番ショートとして、全国制覇に貢献した。(藤岡裕大 フレッシュアイペディアより)
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松田宣浩から見たトヨタ自動車野球部
兄とともに中京高校(現・中京学院大学附属中京高等学校)に進学、主に3番・遊撃手で出場し、高校通算61本塁打を記録した。2年時に第82回全国高等学校野球選手権大会に出場も、対沖縄県立那覇高等学校戦で延長の末、自らの悪送球で決勝点を与え、1対2で初戦敗退した(投手だった兄はこの試合では監督の方針で温存され出場せず)。なお高校在学中に松田兄弟を視察した内田俊雄亜細亜大学硬式野球部監督によれば、「バッティングにしろ、守備にしろ、しなやかさが足らずに硬いところがあった」宣浩より、兄の方が評判は良かったという。高校卒業後、宣浩は亜細亜大学へ進学、兄はトヨタ自動車野球部に所属し、初めて兄とは別のチームに所属することとなる。(松田宣浩 フレッシュアイペディアより)
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トヨタ自動車女子ソフトボール部から見たトヨタ自動車硬式野球部
1997年、元硬式野球部選手の福田五志が監督就任。3年務めて退任後、2007年に復帰し、通算13季でリーグ優勝5度導く。(トヨタ自動車女子ソフトボール部 フレッシュアイペディアより)