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トルコから見たイスラム世界
19世紀、衰退を示し始めたオスマン帝国の各地ではナショナリズムが勃興して諸民族が次々と独立した。帝国はオスマン債務管理局を通して列強に財政主権を握られ、第一次世界大戦で敗北した。こうしてオスマン帝国は英仏伊、ギリシャなどの占領下におかれ完全に解体された。中でもギリシャは、自国民居住地の併合を目指してアナトリア内陸部深くまで進攻した。また、東部では、アルメニア国家が建設されようとしていた。これらに対してトルコ人たち(旧帝国軍人や旧勢力、進歩派の人たち)は国土・国民の安全と独立を訴えて武装抵抗運動を起こした。この抵抗運動をトルコ独立戦争(1919年5月)という。1920年4月アンカラに抵抗政権を樹立したムスタファ・ケマル(アタテュルク)の下に結集して戦い、1922年9月、現在のトルコ共和国の領土を勝ち取った。1923年、アンカラ政権はローザンヌ条約を締結して共和制を宣言した。翌1924年にオスマン王家のカリフをイスタンブールから追放して、西洋化による近代化を目指すイスラム世界初の世俗主義国家トルコ共和国を建国した。(トルコ フレッシュアイペディアより)
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トルコから見た鉄道
トルコにおいて交通の中心となっているのは、旅客・貨物ともに陸上の道路交通である。鉄道は国鉄 (TCDD) が存在し 10,940 km の路線を保有・運営しているが、きわめて便が少なく不便である。また、駅舎・路線・その他設備は整備が不十分で老朽化が進んでいる。2004年には国鉄は最高時速 160 km の新型車両を導入したが、7月にその新型車両が脱線事故を起こし39名の死者を出した。これは、路線整備が不十分なまま新型車両を見切り発車的に導入したことが原因といわれている。この事故は国鉄の信頼性を一層低下させ、その後鉄道乗客数は激減している。その後、路線の新設や改良に巨額の投資をし始め、2007年4月23日、エスキシェヒール - アンカラ間にて最高時速250kmのトルコ初のトルコ高速鉄道が開通した。その後も、アンカラ?コンヤ間でも完成するなど、各地で高速鉄道建設がすすめられ近代化が図られている。(トルコ フレッシュアイペディアより)