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トルコから見た司法府
1982年に定められた憲法では、世俗主義が標榜されている。三権はほとんど完全に分立しており、憲法の目的(世俗主義、他)を達成するためにそれぞれの役割を果たすことが期待されている。このことが、世俗派と宗教的保守派との対立を助長し、その対決が終息しない遠因ともなっている。立法府として一院制のトルコ大国民議会(、定数550名、任期5年)がある。行政は議会によって選出される国家元首の大統領(任期7年)が務めるが、首相の権限が強い議院内閣制に基づいている。司法府は、下級審である司法裁判所、刑事裁判所、および控訴審である高等控訴院、憲法裁判所で構成され、通常司法と軍事司法に分離されている。司法は政党の解党判断、党員の政治活動禁止と言った政治的な事項についても判断できる。(トルコ フレッシュアイペディアより)
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トルコから見た政教分離原則
19世紀、衰退を示し始めたオスマン帝国の各地ではナショナリズムが勃興して諸民族が次々と独立した。帝国はオスマン債務管理局を通して列強に財政主権を握られ、第一次世界大戦で敗北した。こうしてオスマン帝国は英仏伊、ギリシャなどの占領下におかれ完全に解体された。中でもギリシャは、自国民居住地の併合を目指してアナトリア内陸部深くまで進攻した。また、東部では、アルメニア国家が建設されようとしていた。これらに対してトルコ人たち(旧帝国軍人や旧勢力、進歩派の人たち)は国土・国民の安全と独立を訴えて武装抵抗運動を起こした。この抵抗運動をトルコ独立戦争(1919年5月)という。1920年4月アンカラに抵抗政権を樹立したムスタファ・ケマル(アタテュルク)の下に結集して戦い、1922年9月、現在のトルコ共和国の領土を勝ち取った。1923年、アンカラ政権はローザンヌ条約を締結して共和制を宣言した。翌1924年にオスマン王家のカリフをイスタンブールから追放して、西洋化による近代化を目指すイスラム世界初の世俗主義国家トルコ共和国を建国した。(トルコ フレッシュアイペディアより)