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日本のバスから見た京王電鉄
戦後10年がたった1950年代後半以降は、一部の大手私鉄による観光開発などを主目的とした地方の事業者の傘下への編入が進められて行く。主な例で言えば、東京急行電鉄の北海道・信越、名古屋鉄道の東海・北陸、近畿日本鉄道の中国地方などが顕著である。この裏には、労働争議や自然災害で経営が悪化した地方の事業者が大手事業者に支援を求めた例も少なからず存在する。その中で、同一資本下になった事業者同士の合併例が生じた。東京多摩地区では、京王系列の奥多摩振興、五王自動車、高尾自動車が合併して西東京バスが、茨城県では京成系列の常総筑波鉄道と鹿島参宮鉄道が合併して関東鉄道が成立している。同時に、地方事業者の再編も行われ、1960年に長岡鉄道と中越自動車、栃尾電鉄が合併して越後交通、1961年に福島電気鉄道が福島県南交通を吸収し福島交通に、1964年に三州自動車が南薩鉄道を合併し、鹿児島交通が誕生した。他にこの時代において特記すべき事項は、長距離路線の開設である。この時、複数バス会社の合弁で急行バス会社が誕生している。この時期はまだバス黄金時代と呼ばれ、路線バスの乗車人員は右肩上がりであった。(日本のバス フレッシュアイペディアより)
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