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パキスタンから見たイギリス領インド帝国
1947年8月14日 イギリス領インド帝国から独立し、イギリス国王を元首に頂くドミニオン(英連邦王国パキスタン)となる。1947年 第一次印パ戦争(1947年10月21日 - 1948年12月31日)。1956年、共和制移行。第二次印パ戦争(1965年8月 - 9月23日)。第三次印パ戦争(1971年12月3日 - 12月16日)、東パキスタンがバングラデシュとして分離独立。(パキスタン フレッシュアイペディアより)
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パキスタンから見た南オセチア紛争 (2008年)
独立以来、アメリカとの協力・同盟関係を維持しながら、カシミール問題で激しく争うインドに対抗するのがパキスタンの一貫した外交政策であったが、親米主義者であったムシャラフが辞任した2000年代後半以降軍事パートナーをアメリカからロシアと中華人民共和国に切り替えることを志向している(2008年のグルジア軍の南オセチア自治区への侵攻にロシアが介入した事を支持した国の一つでもあった)。(パキスタン フレッシュアイペディアより)
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パキスタンから見た非同盟主義
パキスタンは独立以来、アメリカ合衆国の軍事支援を受け入れている。アメリカにとっては非同盟主義のインドと友好関係が深いソビエト連邦への対抗上、またイスラム革命を起こしてアメリカと激しく対立するイランの封じ込め策として、パキスタンは重要な支援対象国家である。パキスタン側もこの点は承知しており、クーデターなどで政権交代が起こっても親米路線は堅持されている。しかしながら、近年、テロとの闘いにおいて、米国はパキスタンの一部(特に、部族地域)がタリバンなどの武装勢力の聖域になっていること、パキスタンがそうした武装勢力に対し十分な戦闘や対策を取っておらず、むしろ、パキスタンの一部(特に、軍統合情報局ISI)はいまだにタリバンなどを非公式に支援していると見られていることに不満を持ち、一方でパキスタンは、米国がパキスタン国内での無人機攻撃など主権侵害を継続していることに不満を持ち、両国関係は冷却化した。両国の不信感は根深いものがある。(パキスタン フレッシュアイペディアより)
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パキスタンから見たシンド語
中国とのビジネスが拡大していることから、パキスタン国内では中国語ブームが起きている。イスラマバード市内の私立高校では中国語を必修科目に導入し、パキスタン企業の間でも中国語研修を行う企業が増えている。パキスタン政府も中国との関係強化と中国企業にパキスタン人を雇用させるというの観点からこうした動きを後押しし、アースィフ・アリー・ザルダーリー大統領も出身地であるシンド州にある全ての小中学校で、2011年から2年以内に英語、ウルドゥー語、アラビア語、シンド語に次いで中国語も必修科目に義務づけると発表した。しかし、教育現場の混乱や生徒への負担、中国語を教える教師の数が不足していることなどを理由にシンド州教育省は中国語を必修では無く、選択科目として緩やかに導入していくことで計画を修正している。(パキスタン フレッシュアイペディアより)