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パプアニューギニアから見たリオ・ティント
1988年にブーゲンビル島(ブーゲンビル自治州)でを中心とするグループが、の銅山(リオ・ティント傘下のBougainville Copper Ltdが所有)の閉鎖、ブーゲンビルの分離・独立(:en:Republic of the North Solomons)を求めてブーゲンビル革命軍(BRA)を構成し、鎮圧を試みた政府軍との間に内戦が始まった。1992年にはソロモン諸島 ショートランド諸島を、革命軍(BRA)への支援を理由に政府軍を攻撃した。当初、容易に鎮圧可能と見られていたは休戦と戦闘再開を繰り返し長期化した。(パプアニューギニア フレッシュアイペディアより)
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パプアニューギニアから見たポートモレスビー
1941年からの太平洋戦争では、日本軍が1942年1月22日、ニューブリテン島ラバウルに上陸、ニューブリテン、ニューアイルランド、ブーゲンビルなどの島嶼部やニューギニア本島の北岸を占領し、ポートモレスビー攻略を狙った。しかし、1942年5月に行われた珊瑚海海戦の結果、海からのポートモレスビー攻略を諦め、1942年8月にはソロモン海岸からオーエン・スタンレー山脈越えでポートモレスビーを陸路攻略する作戦が実行された。ここでも飢えとマラリアの為に多くの死者を出して撤退し、その後、制海権、制空権を失い補給を絶たれたニューギニアの日本軍は、「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と評される凄惨な状況となった。(パプアニューギニア フレッシュアイペディアより)