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パプアニューギニアから見たブーゲンビル島
1941年からの太平洋戦争では、日本軍が1942年1月22日、ニューブリテン島ラバウルに上陸、ニューブリテン、ニューアイルランド、ブーゲンビルなどの島嶼部やニューギニア本島の北岸を占領し、ポートモレスビー攻略を狙った。しかし、1942年5月に行われた珊瑚海海戦の結果、海からのポートモレスビー攻略を諦め、1942年8月にはソロモン海岸からオーエン・スタンレー山脈越えでポートモレスビーを陸路攻略する作戦が実行された。ここでも飢えとマラリアの為に多くの死者を出して撤退し、その後、制海権、制空権を失い補給を絶たれたニューギニアの日本軍は、「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と評される凄惨な状況となった。(パプアニューギニア フレッシュアイペディアより)
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パプアニューギニアから見たセピック川
パプアニューギニアは、世界で最も言語の豊富な国といわれている。また、世界で最も言語の消滅の危険が高いといわれている国でもある。険しい山岳地帯、湿地帯に阻まれて部族間の交渉が少なかったこともあり、小さなコミュニティが独自の文化・言語を発達させ、人口が600万人に対して、言語の数は800以上にもなる。そのうち130の言語の話者が200人以下であり、290の言語の話者が1000人以下である。首都ポートモレスビーで話されるピジン語であるトク・ピシンとヒリモツ語の勢力は強く、隣接する地域で話されるを圧倒しており、セピック川下流で話されているも危うい状態である。ただし、女性たちは自分たちの言葉を守り続けている。(パプアニューギニア フレッシュアイペディアより)