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アグネス・チャンから見たピンクリボン
1972年、代表曲の一つである「ひなげしの花」で、日本での歌手デビューを果たす。高く澄んだ歌声と愛くるしいルックス、たどたどしいが一生懸命日本語で歌う姿が受けて、一躍人気アイドルとなった。日本ではその後も「草原の輝き」、「小さな恋の物語」、「星に願いを」、「ポケットいっぱいの秘密」、「愛の迷い子」、「恋人たちの午後」「白いくつ下は似合わない」、香港における「The Circle Game」「香港香港」、「雨中のカーネション」などヒット曲は多く、台湾やアメリカ合衆国などでも音楽活動を行っている。歌手としての活躍のほか、1998年には初代日本ユニセフ協会大使に就任。2016年には、ユニセフ・アジア親善大使にするなど、ボランティアやチャリティーなどを通じた社会奉仕や貧困や平和についての発言でも知られている。近年ではピンクリボン運動への参加や、香港浸会大学の客員教授やニュージーランドの高校の学園長などとしての教育活動も行っている。(アグネス・チャン フレッシュアイペディアより)
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竹本克明から見たピンクリボン
1960年、岡山県に生まれる。東北新社にて、CMの演出を多数務めて後映画製作に携わるようになる。東北新社を退社後、ギャガ・コミュニケーションズ、GDHを経て、2011年に株式会社ヴァンブックを設立。『鮫肌男と桃尻女』など音楽系や先鋭的な作品を多数手がけているため、アート系のプロデューサーと思われがちだが、『バトルロワイヤル』のような大作から、ピンクリボンと連動した『Mayu-ココロの星-』や、地方発信の企画として一大ブームを巻き起こした『佐賀のがばいばあちゃん』のプロデュースにも参加するなど、その映画センスは新しいジャンルを開拓している。(竹本克明 フレッシュアイペディアより)