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ファッションから見たアルブレヒト・デューラー
16世紀のドイツもしくはイタリアの紳士の肖像画が10枚あれば10個の全く違った帽子が描かれているであろう。この時期は国ごとの違いが最も顕著であり、これはアルブレヒト・デューラーが15世紀末にニュルンベルクとヴェネツィアのファッションを(実録または合成で)対比させた記録にも現れている(右図)。16世紀末の「スパニッシュ・スタイル」はヨーロッパの上流階級でのファッションの共時性への回帰の始まりとなり、17世紀中葉の葛藤の後、フランスのスタイルが決定的に指導的位置を占め、18世紀にはこの過程は完結した。(ファッション フレッシュアイペディアより)
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ファッションから見たロラン・バルト
一般に人は地理条件、性別、年齢、社会階層、職業、思想や嗜好等を反映した服装を着用するが、それと同時に文化的に影響力のあるステータスを持つ人々が何か新しい、もしくはそれまでと違った衣服を着用し、他の人々がそれに追随しはじめた時、ファッションの流行は始まる。服飾の流行は全世界的に見られるが、法律や宗教、道徳等による服装規範が相対的に緩く、服装の選択肢も広い現代の西洋的な市民社会においては、その変動は特に激しく、またそれらの流行を利用した衣料品産業が巨大産業を形成している。最新のファッションに盲目的に追随する人は「ファッショニスタ」(fashionista)とか、ファッション中毒等と呼ばれる。また、ロラン・バルトによれば、さまざまなファッションを着て見せびらかすという営為の体系は、さまざまなファッション文をファッションの文法を用いて組み合わせるファッション言語とも見做せる。(ファッション フレッシュアイペディアより)
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ファッションから見たシャルル・フレデリック・ウォルト
仕立屋や裁縫師たちが多くの革新に関与してきたことは間違いないし、織物産業も確かに数多くの流行を先導したが、ファッションデザインの歴史が始まったとされるのは1858年、イギリス出身のシャルル・フレデリック・ウォルトが最初のオートクチュール店をパリに開いた日である。以降、プロのデザイナーが徐々に支配的な存在となってゆく――多くのファッションはストリートファッションを起源としているにもかかわらず。(ファッション フレッシュアイペディアより)
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ファッションから見たフェルナン・ブローデル
ヨーロッパでスタイルが連続的・加速度的に変化してゆく慣習が始まったのは14世紀中頃であるとかなりはっきりしており、やフェルナン・ブローデルなどの歴史家がこの時期を西洋の服飾ファッションの始まりとしている。これを示す最も劇的な変化は男性の上着が突然に大幅に短くタイトになったことで、ふくらはぎまであったものが辛うじて尻を覆うだけのものとなり、また同時に胸を大きく見せる詰め物もすることがあった。これによって西洋男性が仕立てた上着をレギンスまたはズボンの上に着るという概形が生み出された。(ファッション フレッシュアイペディアより)
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ファッションから見たピエール・カルダン
1953年には、当時ヨーロッパで隆盛を極めたファッションデザイナーのクリスチャン・ディオールが来日し、海外ファッションの導入が始まった。当時の洋服は基本的に注文品で、オーダー服を基軸にしたオートクチュールだったが、日本国内では繊維不況のあおりを受け、そのような最新ファッションは大衆の手に入りにくいものとなっていた。1958年には、同じくピエール・カルダンが来日。量産のプレタポルテの時代の到来を告げる。当時、オーダー服と量産既製服の占める割合は7対3程度にまでなりつつあった。この後、1960年代以降から衣料の大量消費の時代が始まることになる。1975年頃よりニュートラが全国的に流行。これにより海外高級ブランドユーザーの大衆化(若年齢化)やセレクトショップのブーム、ファッション誌のモデル大量起用など、時代の転換点となった。(ファッション フレッシュアイペディアより)