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ブルーインパルスから見た満州
一方、1931年に発生した柳条湖事件を機として満州(現在の中国東北部)を制圧した関東軍に当時の日本社会は高揚し、「報国号」の献納数も増えることになった。ちょうど1933年に源田實が戦闘機分隊に配属され、編隊特殊飛行チームを受け継いだ時期と重なったため、曲技飛行の機会も増加し、使用する戦闘機の数も9機にまで増加した。これらの編隊特殊飛行は、専ら九〇式艦上戦闘機を使用して行なわれた。課目には「3機編隊で急降下し、引き起こし中に1機だけ背面飛行となり、そのまま急上昇」というものもあったが、列機はほとんど姿勢を崩さなかったという。こうして、編隊特殊飛行チームは「源田サーカス」という通称が定着していったが、戦争の激化と共に編隊特殊飛行は行なわれなくなった。(ブルーインパルス フレッシュアイペディアより)
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