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プロレスから見たユークス
2011年には東日本大震災復興支援を目的として新日本、全日本、ノアによる合同興行ALL TOGETHERが開催され、翌2012年には新日本・全日本が旗揚げ40周年記念興行を合同で開催するなど団体同士の連携を強めている。2000年代に低迷してゲーム会社のユークスの傘下となっていた新日本プロレスは2012年にエンターテイメント企業「ブシロード」の子会社となり同社のコンテンツビジネスとの連携を深め、観客数と売り上げを大きく増やし、2016年には団体史上最高額の事業利益を達成している。ノアは三沢亡き後の団体をまとめきれず主力選手の離脱が相次いでいる。ノアを離脱した秋山準らはベンチャー企業のスピードパートナーズ(後の八丁堀投資)の傘下となっていた古巣の全日本に復帰する。しかし全日本のオーナーとなったスピードパートナーズ社長(当時)の白石伸生の運営に反発した武藤らが全日本を退団して、新たにWRESTLE-1を旗揚げ。一方、全日本は親会社の経営破綻により秋山を社長とした新体制で再出発。各団体で主力選手の退団、移籍が発生した他、インディー団体出身のレスラーによる地方団体旗上げが相次ぐなど、細分化も進んでいる。また現在、日本のプロレス市場はWWEを始めとする海外団体が強く関心を寄せており中邑真輔、小林健太、戸澤陽らがWWEへ進出した他、新日本やDRAGON GATEに参戦していた外国人選手が相次いでWWEへ移籍しており、WWE進出を狙う選手やWWEを解雇された選手が相次いで日本の団体に参戦するなど、移籍市場として一定の価値を獲得している。(プロレス フレッシュアイペディアより)
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プロレスから見たウィレム・ルスカ
その後は日本国内においては力道山の率いる日本プロレスの独占市場であったが、力道山の死去後、東京プロレスと国際プロレス(いずれも現在は消滅)が相次いで旗揚げして、さらに力道山死去後の日本のプロレスを支えていたアントニオ猪木が新日本プロレスを、そしてジャイアント馬場が全日本プロレスを旗揚げして両エースを失った日本プロレスは崩壊する。それ以降しばらくの間は上記の2団体と当時は健在だった国際プロレス、そして女子プロレス団体である全日本女子プロレスの4団体時代が続くことになる。1970年代以降、猪木はプロレス最強を掲げてウィレム・ルスカ、モハメド・アリらと異種格闘技戦を行い、馬場もNWAとのコネクションから多くの大物外国人レスラーを招聘しそれぞれ人気を獲得。国際プロレスもヨーロッパ路線とデスマッチ路線を展開して独自のファン層を開拓。(プロレス フレッシュアイペディアより)
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プロレスから見たアンドレ・ザ・ジャイアント
アマチュアレスリングで使用されているシングレットと基本的には同一のものだが脚部がロングタイツになっているものや肩がワンショルダーになっているものもある。アマチュアレスリング出身の選手が着用するほか、アンドレ・ザ・ジャイアント、ベイダー、吉江豊、曙など上半身の肉が厚い超重量級の選手が体を引き締めて負荷を軽減するために着用する。(プロレス フレッシュアイペディアより)
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プロレスから見たザ・グレート・カブキ
タイツタイプの裾だけが広がってる物と道着のような全体に絞めつけのない物とがあり膝サポーターをコスチュームの下に隠してしまえる利点がある。蹴り技を得意とする選手や軽量級の選手に着用者が多い。また日本の袴を連想し東洋的なイメージを演出するためにザ・グレート・カブキ、グレート・ムタ、越中詩郎(道着)、新崎人生=白使(ハクシ)、TAJIRIの他、前者のタイツタイプはタイガーマスク(初代)、小林邦昭、橋本真也などが着用していた、現在はタイガーマスク(4代目)が着用している。(プロレス フレッシュアイペディアより)