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中村国昭から見たドラフト会議
津久見高校では、高橋直樹と共に夏の甲子園に出場。1966年のドラフト会議で読売ジャイアンツに5位指名されるもこれを拒否した。日本鉱業佐賀関からドラフト外で1970年にヤクルトスワローズに入団、開幕試合にもルーキーながらスターティングメンバーとして出場した(ヤクルト球団の「新人野手開幕試合スタメン」はこれ以降、2010年の荒木貴裕まで現れなかった)。どこでも守れる内野手として1973年に121試合、1975年も110試合に出場した。1978年に三浦政基との交換トレードで、日本ハムファイターズに移籍。翌年に引退した。その後、2005年に故郷である大分に社会人野球チームの大分ソーリンズ野球倶楽部を結成し、監督に就任した。(中村国昭 フレッシュアイペディアより)
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