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佐々木弥から見たHonda硬式野球部
大きな転機となったのは同年の第77回都市対抗野球大会。七十七銀行から補強した高橋利信、岩手21赤べこ野球軍団から補強した高倉啓司に挟まれるように4番に座った佐々木は打棒を爆発させる。1回戦(対伯和ビクトリーズ(東広島市)戦)ではノーヒットと振るわなかったが、2回戦(対JR東海(名古屋市)戦)では0?2のビハインドで迎えた7回裏に反撃ののろしとなるホームランを打ち、準々決勝(対ホンダ(狭山市)戦)では4四死球で出塁、準決勝(対日本通運(さいたま市)戦)では0?3で迎えた3回表に反撃の開始となるソロホームランを打ち込んだだけでなく、3?5で迎えた7回表には逆転のグランドスラムをレフトスタンドに叩き込んだ。そして決勝戦(対日産自動車(横須賀市)戦)でも1安打を放ち、チームの初優勝に貢献。橋戸賞(MVP)こそ5試合登板のエース・野田正義に譲ったが、3本塁打が評価され、打撃賞と大会優秀選手(一塁手部門)を受賞した。また、同年の社会人ベストナイン(一塁手部門)も受賞した。(佐々木弥 フレッシュアイペディアより)
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和田貴範から見たHonda硬式野球部
2003年に新日鐵君津から衣替えした市民球団かずさマジックに入部。かずさ1期生となる。その年チームは2大大会(都市対抗野球大会・社会人野球日本選手権大会)に出場を果たすが、ほとんど出場機会がないまま初年度を終える。2年目からチームは2大大会の出場を逃し続けるが、和田はサードのレギュラーを獲得し、2004年にはホンダ、2005年にもホンダ、2006年にはJFE東日本の補強選手として3年連続で都市対抗でチームの上位進出に貢献。2006年には慣れないセカンドを東京ドームで守りながらチームの8強入りに貢献し、大会優秀選手に選出された。2007年は日本通運の補強選手となり、4年間で南関東地区のライバルチームすべてのユニフォームに袖を通した。(和田貴範 フレッシュアイペディアより)