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    ボン・ジョヴィから見たスペシャルオリンピックス

    2003年1月、アルバム『バウンス』を引っ提げて日本国外のアーティストでは初となる5大ドームツアーを開催。アルバムのディスクジャケットや「エヴリデイ」(Everyday)のミュージック・ビデオにも登場した超大型干渉電波望遠鏡群を彷彿とさせるパラボラアンテナのステージセットが持ち込まれた。さらに、横浜アリーナではアコースティック編成でのライヴも行った。日本公演後はアメリカに渡り『第37回スーパーボウル』試合終了後にパフォーマンスした。6月にはアイルランド共和国ダブリンで開催された『第11回スペシャルオリンピックス夏季大会』開会式に出席してパフォーマンス。ロンドンではハイド・パーク公演を開催した。ワールド・ツアーは、8月のジャイアンツ・スタジアム公演で終了した。10月には、これまでの曲をアレンジしたアルバム『ディス・レフト・フィールズ・ライト 〜バック・アット・ザ・クロス・ロード』(This Left Feels Right)を発表。1月に行った横浜公演のライヴ音源をボーナス・トラックに収録している。ボン・ジョヴィ フレッシュアイペディアより)

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    ボン・ジョヴィから見たベスト・アルバム

    1994年、デビュー10周年。5月に東大寺大仏殿前で開催されたイベント『GME'94 〜21世紀への音楽遺産をめざして〜 AONIYOSHI』(The Great Music Experience)にジョンとリッチーが出演。10月には初のベスト・アルバム『クロス・ロード』(Cross Road)を発表した。アルバムはアメリカ盤・日本盤・インターナショナル盤の3種類で発売され、アメリカ盤には「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」をアコースティック調にリメイクした「プレイヤー '94」(Prayer '94)が、日本盤には「TOKYO ロード」(Tokyo Road)が、インターナショナル盤には「イン・ジーズ・アームズ」(In These Arms)が収録された。アルバムは全英アルバムチャート1位を獲得し、日本では初となるオリコンチャート1位を獲得し、ミリオンセラーとなった。アルバムに収録された新曲「オールウェイズ」(Always)はBillboard Hot 100最高位4位とヒットした。ところが、『クロス・ロード』発売と同時期にアレックの脱退が発表される。理由は「もっと自分の生活を楽しみたい」というものであった。後任のベーシストには、メンバーの旧友であるヒュー・マクドナルドをサポート・メンバーに迎えた。ボン・ジョヴィ フレッシュアイペディアより)

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    ボン・ジョヴィから見たリスボン

    2011年、東日本大震災の復興支援を目的としたチャリティー・アルバム『ソングス・フォー・ジャパン』(Songs For Japan)に参加。4月にはリッチーがアルコール依存症治療のためツアー不参加となり、代役としてフィルXが参加した。ツアーは7月末のポルトガルリスボン公演で終了した。ボン・ジョヴィ フレッシュアイペディアより)

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    ボン・ジョヴィから見たモスクワ

    1988年9月、4thアルバム『ニュージャージー』(New Jergey)を発表。Billboard 200・全英アルバムチャートで1位を獲得。シングル「バッド・メディシン」(Bad Medicine)と「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」(I'll Be There For You)もBillboard Hot 100で1位を獲得し、人気を不動のものとした。日本では、「バッド・メディシン」がSANYO CDラジカセ「ZooSCENE」・家庭用ビデオ規格「S-VHS」CMソングに、「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」が富士フイルム「AXIA」CMソングに起用され、ともにCMにメンバーが出演した。また、大晦日には東京ドームでフェス形式のカウントダウン・ライヴを行い、ラット、キングダム・カムらと共演した。1989年は前日に続き元日からフェス形式のライヴを開催。その後、大阪・名古屋で単独公演を行った。この年、ボン・ジョヴィは第3回日本ゴールドディスク大賞でアルバム『ニュージャージー』が「グランプリ・アルバム・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)を受賞し、「グランプリ・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)も受賞した。8月にはモスクワで開催された『モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバル』にヘッドライナーとして出演。オジー・オズボーン、モトリー・クルー、スコーピオンズ・スキッド・ロウらと共演した。9月にはジョンとリッチーがMTV Video Music Awards授賞式で「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」と「ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ」(Wanted Dead Or Alive)をアコースティック・アレンジでパフォーマンス。これにヒントを得てMTVが『MTVアンプラグド』を制作し、放送が開始された。ボン・ジョヴィ フレッシュアイペディアより)

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    ボン・ジョヴィから見たミリオンセラー

    1994年、デビュー10周年。5月に東大寺大仏殿前で開催されたイベント『GME'94 〜21世紀への音楽遺産をめざして〜 AONIYOSHI』(The Great Music Experience)にジョンとリッチーが出演。10月には初のベスト・アルバム『クロス・ロード』(Cross Road)を発表した。アルバムはアメリカ盤・日本盤・インターナショナル盤の3種類で発売され、アメリカ盤には「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」をアコースティック調にリメイクした「プレイヤー '94」(Prayer '94)が、日本盤には「TOKYO ロード」(Tokyo Road)が、インターナショナル盤には「イン・ジーズ・アームズ」(In These Arms)が収録された。アルバムは全英アルバムチャート1位を獲得し、日本では初となるオリコンチャート1位を獲得し、ミリオンセラーとなった。アルバムに収録された新曲「オールウェイズ」(Always)はBillboard Hot 100最高位4位とヒットした。ところが、『クロス・ロード』発売と同時期にアレックの脱退が発表される。理由は「もっと自分の生活を楽しみたい」というものであった。後任のベーシストには、メンバーの旧友であるヒュー・マクドナルドをサポート・メンバーに迎えた。ボン・ジョヴィ フレッシュアイペディアより)

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    ボン・ジョヴィから見たTBSテレビ

    1984年、アルバム『夜明けのランナウェイ』(原題:Bon Jovi)でデビュー。リード・トラック「夜明けのランナウェイ」は1985年に麻倉未稀が日本語でカバーし、TBS系ドラマ『乳姉妹』の主題歌に使用された。同年8月にはロック・フェスティバル『SUPER ROCK 84 IN JAPAN』出演のために初来日。熱烈な歓迎にメンバーは感銘を受けた。この年、バンドはスコーピオンズのサポートとしてアメリカをまわり、キッスのサポートとしてヨーロッパをまわった。また、日本ではアルバムがバンド初のゴールド・ディスクを獲得した。1985年、 2ndアルバム『7800°ファーレンハイト』(7800° Fahrenheit)を発表。タイトルの「7800°」とは、岩(ロック)も溶けてしまう温度である。アルバムに収録されている「TOKYO ロード」は、日本のファンへ感謝の意を込めて作られた。なお、本作からデヴィッドは現在の名前に改名している。メンバーはアルバム発表直後に来日し、バンド初の単独公演を日本で開催した。その後ヨーロッパをまわり、イギリスのドニントン・パークで開催されたロック・フェスティバル『モンスターズ・オブ・ロック』にも出演した。また、ラットのサポートとして全米もまわっている。ボン・ジョヴィ フレッシュアイペディアより)

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    ボン・ジョヴィから見た横浜アリーナ

    2001年3月から4月にかけて日本公演を開催。日本独自企画として、ロック・トラックのみを集めたベスト・アルバム『TOKYO ROAD〜ベスト・オブ・ボン・ジョヴィ-ロック・トラックス』が発売され、3月28日の横浜アリーナ公演では本編のセットリストをアルバム収録曲順に演奏した。5月には初のライブ・アルバム『ワン・ワイルド・ナイト』(One Wild Night Live 1985-2001)を発表(日本盤は2001年12月に発売)。7月には地元ニュージャージーのジャイアンツ・スタジアムでツアー最終公演を行った。9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起こると、各チャリティー活動に参加した。ボン・ジョヴィ フレッシュアイペディアより)

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    ボン・ジョヴィから見たAXIA

    1988年9月、4thアルバム『ニュージャージー』(New Jergey)を発表。Billboard 200・全英アルバムチャートで1位を獲得。シングル「バッド・メディシン」(Bad Medicine)と「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」(I'll Be There For You)もBillboard Hot 100で1位を獲得し、人気を不動のものとした。日本では、「バッド・メディシン」がSANYO CDラジカセ「ZooSCENE」・家庭用ビデオ規格「S-VHS」CMソングに、「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」が富士フイルム「AXIA」CMソングに起用され、ともにCMにメンバーが出演した。また、大晦日には東京ドームでフェス形式のカウントダウン・ライヴを行い、ラット、キングダム・カムらと共演した。1989年は前日に続き元日からフェス形式のライヴを開催。その後、大阪・名古屋で単独公演を行った。この年、ボン・ジョヴィは第3回日本ゴールドディスク大賞でアルバム『ニュージャージー』が「グランプリ・アルバム・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)を受賞し、「グランプリ・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)も受賞した。8月にはモスクワで開催された『モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバル』にヘッドライナーとして出演。オジー・オズボーン、モトリー・クルー、スコーピオンズ・スキッド・ロウらと共演した。9月にはジョンとリッチーがMTV Video Music Awards授賞式で「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」と「ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ」(Wanted Dead Or Alive)をアコースティック・アレンジでパフォーマンス。これにヒントを得てMTVが『MTVアンプラグド』を制作し、放送が開始された。ボン・ジョヴィ フレッシュアイペディアより)

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    ボン・ジョヴィから見た富士フイルム

    1988年9月、4thアルバム『ニュージャージー』(New Jergey)を発表。Billboard 200・全英アルバムチャートで1位を獲得。シングル「バッド・メディシン」(Bad Medicine)と「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」(I'll Be There For You)もBillboard Hot 100で1位を獲得し、人気を不動のものとした。日本では、「バッド・メディシン」がSANYO CDラジカセ「ZooSCENE」・家庭用ビデオ規格「S-VHS」CMソングに、「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」が富士フイルム「AXIA」CMソングに起用され、ともにCMにメンバーが出演した。また、大晦日には東京ドームでフェス形式のカウントダウン・ライヴを行い、ラット、キングダム・カムらと共演した。1989年は前日に続き元日からフェス形式のライヴを開催。その後、大阪・名古屋で単独公演を行った。この年、ボン・ジョヴィは第3回日本ゴールドディスク大賞でアルバム『ニュージャージー』が「グランプリ・アルバム・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)を受賞し、「グランプリ・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)も受賞した。8月にはモスクワで開催された『モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバル』にヘッドライナーとして出演。オジー・オズボーン、モトリー・クルー、スコーピオンズ・スキッド・ロウらと共演した。9月にはジョンとリッチーがMTV Video Music Awards授賞式で「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」と「ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ」(Wanted Dead Or Alive)をアコースティック・アレンジでパフォーマンス。これにヒントを得てMTVが『MTVアンプラグド』を制作し、放送が開始された。ボン・ジョヴィ フレッシュアイペディアより)

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    ボン・ジョヴィから見たZepp

    2002年2月、ソルトレイクシティオリンピック閉会式でパフォーマンス。9月にはニューヨークのタイムズスクエアで開催されたイベント『NFL Kickoff Live From Times Square』にヘッドライナーとして出演。日本では8thアルバム『バウンス』(Bounce)を発売。2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件の影響を受けたアルバムとなった。アルバム発売に合わせて来日し、日本盤発売日の9月11日にはZepp Tokyoで一夜限りのスペシャル・ライヴを行い、大阪・名古屋・福岡・仙台のZepp会場で生中継された。また、アルバム収録曲の「バウンス」(Bounce)がフジテレビ系ドラマ『ダブルスコア』挿入歌に、「ディスタンス」(The Distance)がアサヒ「スーパードライ」CMソングに起用された。ボン・ジョヴィ フレッシュアイペディアより)

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