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ジャガーメイルから見たマイネルキッツ
2010年はダイヤモンドステークスから始動する予定であったが、左前肢フレグモーネのため出走を取り消した。代わりに京都記念に出走し、直線でブエナビスタに迫るも差し切ることができず、半馬身差の2着に敗れた。そして5月2日の天皇賞(春)は直線抜け出したマイネルキッツをゴール寸前で差しきり、重賞初制覇をGIで飾り、鞍上のC・ウィリアムズもJRA重賞初制覇となった。なお、天皇賞(春)を外国人騎手が制したは史上初のことであった。続く6月27日の宝塚記念ではブエナビスタに次ぐ2番人気で出走、中団追走も直線で伸びあぐねて8着に敗れた。秋はステップレースを使わずに天皇賞(秋)へ出走し15位に入線したが、直線でエイシンアポロンの走行を妨害したとして18着に降着となった。(ジャガーメイル フレッシュアイペディアより)
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ネヴァブションから見たマイネルキッツ
2010年の初戦は連覇のかかったアメリカジョッキークラブカップに出走。道中好位でレースを進め、最後の直線でシャドウゲイトとのたたき合いを制し、レース史上2頭目の連覇を飾った。続く日経賞では中団から追い上げてくるもマイネルキッツの4着に敗れた。その後、香港に遠征し4月25日のクイーンエリザベス2世カップに出走、ヴィヴァパタカの4着に敗れた。帰国後、6月27日の宝塚記念では中団からしぶとく伸びてくるも届かず5着に敗れた。秋緒戦の毎日王冠では後方待機から最後の直線で馬場の最内から追い込んで3着に入った。天皇賞(秋)では後方から追い上げるもブエナビスタの5着に敗れた。ジャパンカップに出走登録を行っていたが除外され12月4日のステイヤーズステークスに出走、好位から脚を伸ばしコスモヘレノスの3着に入った。有馬記念では中団追走も伸び切れず8着に終わった。(ネヴァブション フレッシュアイペディアより)
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ビートブラックから見たマイネルキッツ
日経新春杯4着、ダイヤモンドステークス6着、阪神大賞典10着で迎えた天皇賞(春)はスタートからゴールデンハインドと大逃げとなり、後方の他馬も断然の1番人気だったオルフェーヴルを巡ってマークし合ったことやタイムの出やすい高速馬場の影響などもあり、まんまと逃げ切り2着のトーセンジョーダンに4馬身差の圧勝で重賞初制覇がGI制覇(マイネルキッツ、ジャガーメイル以来の重賞未勝利馬による天皇賞(春)制覇も果たした。)となった。14番人気で単勝15,960円は天皇賞(春)の過去最高配当となった。鞍上の石橋脩はGI初制覇(京都競馬場の競走も初勝利)、調教師の中村均は朝日杯3歳ステークスのマイネルマックス以来のGI制覇で天皇賞(春)は初制覇。調教師だった父の中村覚之助も1972年に天皇賞(秋)をヤマニンウエーブで制しており、調教師の天皇賞父子制覇も達成し、ミスキャスト産駒もJRA重賞初制覇となった。また天皇賞の出走投票直前まで鞍上が決まらなかったが、別の馬の騎乗で京都競馬場に遠征していた石橋が騎乗しての勝利だった。続く宝塚記念では、好位でレースを進めたが、最後は脚が上がり9着に終わった。(ビートブラック フレッシュアイペディアより)
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